第26章 恋文〔柳蓮二〕
「…私って本当、幸せ者だよね。さっきの歌じゃないけど、今なら死んでもいいや」
私がそう言うと、蓮二が急に言葉に詰まったような顔をした。
こんな表情は、なかなかお目にかかれない。
私しか知らない蓮二がまた増えたことに、くすぐったいような気分になる。
「どうしたの?」
「…あ、いや」
「蓮二?」
「死んでもいい、というのは…その、嬉しいもの、だな」
蓮二の口ごもる理由がわからなくて首を傾げると、話が急に明治時代に飛んだ。
文豪・二葉亭四迷がロシア文学「片恋」を翻訳したとき、『I love you』を『死んでもいいわ』と訳したのだという。
「好きとか愛してるとか、そういった類の言葉を軽々しく使う女はどうかと思うが…渚からは滅多に聞けないからな」
蓮二が少し、淋しそうに笑った。
髪を撫でてくれる手は、ひどく優しい。
「俺ばかりが一方的に想っているのかと…不安になることがなかったと言ったら嘘になるな」
一際小さな声でそう言った蓮二に、私は言った。
「ねえ、やっぱり今の『死んでもいい』っていうの、撤回する」
「ん?」
蓮二がぎゅっと眉根を寄せて、髪を撫でている手をぴたりと止めた。
ちょっとやりすぎたかな、と罪悪感を覚えながら、私はついさっき覚えた歌を諳んじる。