第25章 またあした〔真田弦一郎〕
「そんなこと、ないです」
私は誰よりも近くで見てきたから、知っている。
先輩がいつだって、誰よりも努力していたことを。
だからお願い、自分を否定しないで。
「先輩はいつも強くて、自信を持ってて…私、先輩のテニスを見るの、大好きでした」
「……そうか」
発車のベルが鳴って、ドアが閉まった。
動き出した拍子に肩が触れ合って、心臓が跳ねた。
先輩のことも大好きです。
そう、心の中で付け加えた。
かける言葉が見つからなくて、沈黙が続いた。
毎日一緒に帰っていたけれど、こんなに長い間、お互いに何も話さなかったのは初めてだった。
通り過ぎる景色がだんだん暗くなってきて、並んで座る私たちの姿が窓ガラスにぼんやり反射する。
こうして二人で帰るのも、今日が最後。
先輩との思い出がたくさん詰まったこの電車に、明日からは一人だ。
部活のみんなにチョコレートを配ったバレンタイン。
本当は真田先輩には別の本命チョコを渡したかったけれど、幸村先輩が入院していたこともあって、余計なことに気を回させたくなかったからやめておいた。
ホワイトデーの日、先輩が先に電車から降りる間際、私にキャンディの詰め合わせを押しつけるように差し出してくれて。
「女に贈り物をするのは初めてで、喜んでもらえるものがわからなかった」と珍しく目を逸らしてぼそぼそと言い置いて、そそくさ降りていくのが可愛く見えた。
電車が動き出すときの窓越しの挨拶、それまで会釈をしていたのを、その日を境に手を振る仕草に変えた。
最初こそ驚いた顔をしていたけれど、次の日からは先輩も手を軽く挙げて応じてくれるようになった。
ゴールデンウィーク明け、熱を出して一日だけ学校を休んだ日の翌日。
「昨日は久々に帰りが一人で調子が狂った」と言ってくれて、先輩の日常の一部に私が組み込んでもらえていることが嬉しかった。
いつも部活前に済ませておくことにしている宿題の中に、わからない問題があるのだとぼやいたら「見せてみろ」と言われて、先輩が降りる駅までのほんの数分間で懇切丁寧に解説してもらったこともあったっけ。