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短編集【庭球】

第25章 またあした〔真田弦一郎〕


「…本当に、お疲れさまでした」


沈黙を破ったのは、私。
ラケットバッグの上に置かれた先輩の大きな手を見つめて、言った。


「…ああ」
「私にももっと、何かできることがあったのかもしれないです。お力になれなくて、すみませんでした」


先輩の手が、ぎゅっと拳を握った。
よほど強く握りこんでいるのだろう、ただでさえごつごつしている手の甲に、くっきりと骨が浮いた。
今は顔を見られたくないだろうという気がしたから、小刻みに震えるその手を見つめ続ける。
眉を寄せて目を閉じている先輩の顔が、ありありと浮かんだ。


「そんなことはない。俺の………、俺の、力不足だ」


青学との決勝、先輩は手塚さんに勝ったのに。
それなのに自分の力不足だと言い切るのは、部に対する責任感の強さなのだろうか。



強さは孤独という苦しみなのだと、先輩を見ているとそう思った。
幸村先輩が倒れてからは、特に。
他人の何倍も練習する後ろ姿は、いつもいつも、見えない何かと闘っているように見えた。
敵の正体はもしかして先輩自身だったのかもしれないと、今では思う。

その孤独を少しでも埋められたらと思ったけれど、テニスのできない私にはどうすればいいのか皆目見当もつかなくて。
ただただそれまでと同じように、朝は先輩より一本早い電車に乗って、部活後同じ電車で帰ることしかできなかった。


どの部員よりも朝の早い先輩のさらに前に登校するのは決して楽なことではなかったし、幸村先輩が入院してからは冬だというのにさらに朝が早くなってつらかったけれど、私に考えつくことはそれしかなかった。

「俺に合わせる必要はない、無理をするな」と何度か言われたけれど「マネージャーがやるべき雑用を先輩にやらせるわけにはいきませんから」と突っぱねたら、呆れられたのか何も言われなくなった。
先輩が来る前にネットを張ってボールを準備して、練習中はドリンクやタオルを用意してタイムキーパーをする、そんな当たり前の仕事を精一杯こなした。

先輩と出逢ったテニスコートで先輩のために働くことができるのも、先輩の練習している姿を誰にも邪魔されずに見られるのも、どちらもとても幸せで。
先輩に挨拶をすると、眠気はいつの間にか吹き飛んだ。
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