第3章 記憶
「ところで君。」
その男…確か名前は太宰さん…は言った。
「記憶をなくしたというのは本当のことなのかなぁ?」
私は少し怒りを覚えた。なぜ私がこんな嘘をつく必要が
あるのだろう。
太宰さんの目が私をとらえる。その瞳からは何の感情も感じ取れない。ただ、心すらも読みとってやろうとでも思っているかのように、じっとこちらを見つめるばかりだった。
念のためもう一回、なにかを思い出そうとする。けれどもやはり私の記憶はなにもなく、記憶の箱のなかは空っぽだった。
「どういうことですか。私がわざと記憶がなくなっただなんて嘘をついていると思ってるんですか。」
イライラしているのが声にでてしまう。
太宰さんは慌てたように笑顔を作った。イライラしているのが伝わったみたいだ。
申し訳なさそうに頬をかきながら彼は言った。
「いや、申し訳ない。確認のために一応ね。何せ君の素性が素性だったもんだから、君の言葉を全て信じるわけにもいかなくてだね…。」
ん。今この人ー
「素性…?」
「ああ。君が、与謝野先生の治療を受けていた間に、君の持ち物を少し見させてもらったんだ…。いや、身元のわかるものがあれば、すぐにきみのことを知っている人に連絡をと思ってね……。しかし肝心なものが見つからない代わりに君の鞄の中からこんなものが出てきた。」
男は外套のポケットから小さな白いものを取り出した。
「これを見て、何か思い出さない?」
私は首を振る。何に使うものかさえもわからなかった。