第8章 桜の精
座り込んだままの彼女が両腕を広げた。
躊躇いながらも腕を回し抱き上げると、そのまま首に手を回され、唇と唇が触れた。
「私も、貴方のこと、好き」
真っ直ぐ見つめられ、心臓が早鐘を鳴らす。
頼む、静まってくれ。
大胆な彼女の振る舞いに身を固くしていると、ふふ、と桜の精が笑った。
いつもの不機嫌そうな彼女とは程遠い印象に、脳が混乱する。
「人間で、残念だった?」
覗き込まれ慌てて否定する。
「いや、人間で良かった…」
他に言葉が見つからず、詰まる。
「ねぇ、好き、の続きは?」
「…好きだ、付き合って欲しい」
「…いいよ」
先ほどの悪戯っぽい笑みではなく、優しく笑って答える彼女の名前をまだ知らないことに気付いた。
どうしたら良いのか分からず髪を撫でる。
「名前を…聞いても良いだろうか」
「織江。1年生」
「俺は「手塚国光、テニス部の二年生」
被せられ黙る。
「国光くん…私と貴方と話しているところを同級生が見て、私の靴と上履きを隠してしまったの」
土で汚れた足元を見ると、足の爪には濃いピンクのエナメルが塗られていた。
「すまない…」
「別にどうでもいいの、でも貴方は、私を嫌いだと思ってた」
織江は振り返りハンカチを拾い上げた。
「何故だ?」
「静かなところで本が読みたいだけだと思ってたから」
それは事実だ。
「あと、無表情だったから」
無表情…
「あ、でも今日は表情があるね。どうしてかしら?」
「織江…も、今日は眉間にシワが寄ってない」
呼び捨てにしてしまったが気にしていない様子で、織江は自分の眉間を触り、ほんと?と言った。