第8章 桜の精
翌日、昼休みに桜の樹を訪れると、そこにはまた桜の精が陣取って本を開いていた。
布製のブックカバーが被っているので、何の本かは分からなかった。
桜の精は、俺に気付くとまた眉間にシワを寄せた。
「……あ、昨日の人?」
「…ああ」
「ごめんなさい、私、人の顔覚えるの苦手なの」
「いや、構わない」
「そう」
沈黙。
昨日より機嫌が良いのだろうか、目が合ったまま黙り込んでしまう。
「用がないなら、何処かへ行ってくれる?目障りだわ」
高飛車な物言いが似合っていて、思わず頷きそうになったが、慌てて首を振る。
「静かな場所で本を読みたいんだが、だめだろうか」
「…」
何処かを見つめ、考え込む様子が美しく、吸い込まれてしまいそうだ。
「いいわ、でも、これ以上私に話しかけないでね。私も静かに本が読みたいの」
「ありがとう」
「別に、私の桜じゃないもの」
「…そうか」
それ以上何も言わず、桜に腰掛ける。
はらりと本をめくる音が聞こえ、風がそよぎ、図書室よりずっと心地良かった。
本を読み始めたが何故か集中出来ず、週末にはどこの山に登ろうか悩んでいるうちに意識が遠のいた。
ふわりと花の香りがして、左肩をぽんと叩かれ意識が戻ってくる。眠ってしまっていたのか。
「チャイム、鳴ったわよ」
むすっとした顔をしているが起こしてくれたことにお礼を言うと、また「別に、なんか爆睡しててイラっとしたから」と言った。
見目に似合わずわざと乱暴にしているように見える。
「そうか、すまない」
そう言って腰を上げると、また小さくさよなら、と聞こえ、走り去ってしまった。
何者なのか気になったが、桜の精でいて欲しい気もする。
1400人以上いる大きな学校だから、知人と校舎内ですれ違うことは少ない。
まして学年が違うとより会う確率は低い。
彼女が何年生なのかも知らないまま、翌日も、翌々日も桜の下に行った。
桜の精はいつもむす、としていて、寝ている時以外は不機嫌そうな顔をしていた。
話しかけると眉間にシワを寄せ、嫌そうに「なに?」と言った。