第19章 幻怪(R18:月島蛍)
「ドリンク」
彼はたった一言、そう言った。
窘めるような語調だった。眼鏡レンズの奥から覗くその視線は、四十代と思しき女性客に向けられたまま。
淡々と作業を続ける横顔が、慣れた手つきでシザーを操っている。
「ドッ、ドリンク……?」
「お客様にお出しするの忘れてる」
「っはあう! スススミマセン!」
私は、目が離せなかった。
少女が慌ててアイスティーを運んできてくれたときも、アシスタントの少年に連れられてシャンプー台へ向かうときも、ずっと。
ずっと彼だけを見ていた。
「──……はい、綺麗になった」
「あら素敵。やっぱり蛍が一番上手」
「そう? じゃあまた指名してね」
離れられないのだ。
視線が縫いつけられてしまったかのように、彼から目が離せない。
鏡越しにうっとりと彼を見つめる女性客。口元だけで笑んでみせる彼。二人だけが共有する時間。
彼女、きっとこう思ってる。
(このままずっと彼を見つめていたい)
けれどそれは叶わぬ願い。
だって、ここは美容室。
スタイリストが客に見せる笑顔は営業用のまやかしだ。綺麗だよ。どんな髪型も似合うね。甘いリップサービスだって、指名を得るための手段に過ぎない。