第11章 灼熱(R18:牛島若利)
「ったく退屈な女だよ」
コノ字型の回廊を歩いている時のことだった。そろそろ眠りにつこうと思っていた。眠れぬ夜を、それでもどうにかして過ごそうと思っていた。
思っていた、のだが。
数歩先から聞こえた声。
聞き覚えのある、あの男の声。
咄嗟に足を止めて、暗がりに目を凝らした。誰もいない。いないように見える。
「興醒めもいいところだろ? 喘ぎ声のひとつも挙げやしねえ、そうそう、まさにマグロ!」
しかし確かに聞こえてくる声。
どうやらこの付近で電話をしているらしい。
風に煽られて漂ってくる臭気に、思わず口元を塞ぐ。ヤニ臭さと果実が混ぜられたような、海外製の紙タバコ。
酷く劣悪な臭いだ。
そのしつこさは吐気を催すほど、しかし、それ以上に不快なのは下卑た会話の内容物である。
「俺を満足させられんのはやっぱアスカちゃんだけだわ、ね、だから東京帰ったら一発! 金なら払うからさァ」
悪役の見本のような男だ。
怒りや悲しみより先に、呆れ果ててそんなことを考えた。どうして。何故。こんな男に彼女を悪く言われなければならないのか。
そんな男に、彼女は。
『神田はんと幸せになります』
そんな男が、彼女を。
『彼に幸せにしてもらいます』
そんな男を、彼女は。
『私も彼を幸せにしてあげたい』
──とんだ茶番だ。
この上なく馬鹿馬鹿しい。
視界が赤に染まっていく錯覚に襲われる。それと同時に心は冷えて、冷えて、どこまでも青くなっていく。
無意識に一歩踏み出していた。
ただただ拳を握り締めていた。
回廊の曲がり角を左折した先にいるのであろう、男の醜悪な面を、想像して。