第10章 爪先にルージュを塗って (R18:赤葦京治)
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心臓が止まったのかと思った。
それほどまでに驚いたし、視覚でとらえた情報を脳が理解するまでには、悠久とも呼べる時間がかかった気がする。
「お疲れ、木葉さん」
「……赤、葦、先輩」
「弓道部も随分遅いんだね」
時計の針が八時を過ぎて、日中の不快な湿気が落ちつきを見せはじめた頃。
私はまたも彼と対峙していた。
赤葦京治、とんだ仮面被り。
何を企んでいるのか知らないし、知りたくもないけれど、彼はその冷笑のなかに明らかな毒を孕んでいる。
「さっき話が途中だったから」
だったから、何だ。
その先に続こうとしている言葉を推測して、身構えて、唇を真一文字に結ぶ。
脅されるのか。
はたまた、いや、脅される未来しか見えない。何かを強要されるに違いない。
私は想像しうる限りの凄惨な【脅し】を脳内に並べたてたのだが、しかし──
「一緒に食事でもどう?」
「…………え、」
「そのほうが話も弾むしさ」
「え? わ、ちょっ、先輩」
どういう風の吹き回しなのか。
一体、何を企んでいるのか。
赤葦先輩は、私の肩を抱いてスタスタと歩きはじめてしまう。
文武両道を誇る梟谷学園。
どの部活も遅くまで活動があり、要するに、学内にはまだ多くの生徒が残っている。
弓道場から、昇降口へ。
昇降口から、校門へ。
更には学園から最寄駅までの道すがらも、ずっと、赤葦先輩は私の肩を抱いたままだった。
ざっと数えても五十人以上の生徒に見られただろう。
ああ、明日が思いやられる。
兄を含むバレー部員と、赤葦先輩に思いを寄せる不特定多数の女子。
双方からの質問攻めと罵倒を覚悟して、私は、彼と同じ電車に乗りこむのであった。