第26章 温泉旅行/安室
「すみません!救急車を呼んでください!主人が…!」
夕食会場へ向かう途中、女性の叫び声が聞こえてきた。
従業員が数人慌ただしく走っていく。
思わず安室さんと顔を見合わせた。
「行きましょう。」
安室さんは私の手を取ると叫び声の聞こえた方へ走る。
ある部屋の前に従業員が集まっているのを見つけてそのうちの1人に声をかけた。
「失礼、どうかされたんですか?」
「あ、いえ…。」
客の情報は簡単に教えるなと教育されているのだろう。
彼は視線を泳がせて口ごもった。
「私は医師免許を持っています。もし何かお力になれることがあればと思ったのですが…。」
そう告げるとサッと人垣が割れた。
「男性がお風呂場で倒れられて!救急車は呼んだのですが道が混んでいるとかで到着はまだかかりそうなんです。」
その部屋は露天風呂付きのようだった。
脱衣所に白髪の男性が横たわっている。
「倒れた時に頭を打ったので、下手に動かさないほうがいいかと思いまして…。」
男性の奥様だろう、心配そうにその手を握っている。よく見るとそれは小刻みに震えていた。
「賢明な判断です。ご主人に何か持病はおありでしたか?」
「いえ特には…あ、この前の健康診断で高血圧気味だと出ていたくらいです。」
「なるほど…入浴前にお酒は召し上がってましたか?」
「ええ、ビールを一杯だけ。」
倒れた原因は典型的なヒートショックだ。
食後すぐ、それもアルコール摂取後の入浴、高血圧、そして高齢。
見た所頭部の外傷は大したことなさそうだが、問題は心肺が停止していること。
すぐに心臓マッサージを開始した。
「救急車はどのくらいで着きますか!?」
「あと5分ほどかかるそうです!」
あと5分。
生存率のデッドラインギリギリだ。
この男性の年齢を考えるとかなり厳しいだろう。
「氷とタオルを出来るだけたくさん持ってきてもらえませんか!それとお酒も、何でもいいから度数の高いやつ!」
指示を出すとすぐに数人の従業員が走っていった。
氷が来るまでの間、安室さんに頼んで部屋に備え付けの冷蔵庫から飲み物を全て出してきてもらう。