第1章 ジョーカーゲーム・神永
機嫌がいい時に歌う歌だ。
この三ヶ月で何度となく聞いた。
「いい声だ」
鼻歌でもわかる。綺麗な声で、歌も上手い。
どこか抜けていて、デートの際にもドジを踏むことがあったが、よく気がつくし、気立てもいい。心を許してくれると、家族の話も喜んでしてくれた。彼女には、それが仇となったが……。
唇を噛む。
……面白くない。ないが、これは仕事だ。
ベッドから起き上がり、下着を履いてズボンを引っ掛ける。
時間は刻一刻と迫る。
窓辺に近寄ると細い銀の月が見えた。
ニヤリと笑うそれに、心の内を見透かされているようで、俺はすぐに視線をそらす。
「わかってる。わかってるさ……俺だって、それくらい……」
壁に背中を預け、ずるずると床に落ちていく。
両手でくしゃりと髪を掴み、どうしていいかわからずに揉みくちゃにしてしまう。
自分の気持ちに気がつかないほど鈍感なわけじゃない。
けれど、物には分別というものが大切だ。俺は、それがわからないほど子どもじゃないし、逆らいたいわけでもない。
けれど、どうしようもないのだ。
そう思ってしまうのはどうしようもない。
心が弱かったのか?
俺が逆に術中にハマったのか?
彼女の手のひらの上で踊っているのか?
何にしろ、結果は変わらない。
髪を掴んでいた両手を顔に当て、指の隙間から足元を見下ろす。
「なまえ……」
俺は彼女の名前を呼べる。
彼女は、俺の名前を呼んだところで誰も振り返らない。
「なまえ」
返事はない。
空虚な部屋の中で溶けていく。
「なまえ」
「なぁに、そんなに呼んで」
顔を上げる。
濡れた髪をそのままに、ガウンに身を包んだなまえの姿。
俺は腕をだらりと落とし、力なく微笑んだ。
「好きなんだ、なまえ……」
「……なに、急に。……私も、すきよ」
恥ずかしそうに目をそらして呟く彼女。
それは誰に向けてだ?
一体、誰がすきなんだ?
拳を握りしめ、恋人ごっこは終わりだと、自分の腿を弱く殴りつけた。
……end……