第14章 燈火の 影にかがよふ うつせみの
「…蛍?」
くすんと小さな啜り声を聞いた。
まさかまた怖がらせたのかと、伸ばしていた手を退こうとした。
「…面倒だよね」
杏寿郎の動きを止めたのは、小さな小さな蛍の震えるような声。
「こんなことで躓く女なんて」
「そんなことは」
「私は面倒だよ」
即座に否定しようとする杏寿郎の応えはわかっていた。
それを静かに遮って、下がっていた赤い瞳が上がる。
「杏寿郎のお陰で、鬼である自分のことも受け入れようと思えた。でも…杏寿郎の為に、人間でいたいって願う」
頬を包む杏寿郎の手に、小さな手が重なる。
花畑の中で、杏寿郎が好きだと告げてきた時と同じように。
「普通でいたかった。何も知らないまま、杏寿郎と出会えていたら。太陽の下を一緒にお散歩して、美味しいと思うものを一緒に味わえたら。そんなことを偶に考える」
「…蛍…」
「普通で、いたかったなぁ」
あの時と同じように笑った顔は、くしゃりと歪んでいて。
今にもその緩んだ瞳から、涙が零れ落ちてしまいそうな気がした。
「でも、それはできない」
元より人間に戻れるなら戻りたいという願望があったが、もう戻れないことは知っていた。
例え体は人と成っても、鬼となって犯した過ちは消せない。
人間を殺し、その血肉を喰らった過ちは。
「今の私を否定したら、姉の死も否定することになるから。私が生きているのは、姉の命を喰らって踏み台にしたから。もし私の望む普通があったら、今私は此処にはいない、から」
眉が下がる。
唇が歪む。
「願うのに、否定する。そんなどっちつかずの自分が心底面倒」
人にも成りきれず、鬼にも成り果てられない。
どちらにも寄り添い寄り添えない感情は、時として心を揺さぶる。
同情はされたくない。
それなのに躓いてしまう自分が、情けなくて堪らなかった。