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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第14章 燈火の 影にかがよふ うつせみの



 今まで口付けを交したのは一度や二度ではない。
 就寝前に、夜の散歩道で、縁側での月見酒と共に。
 それなりに杏寿郎と過ごした穏やかな時間の中で、静かに互いの唇を重ね合ってきた。


「っ…ん」


 いつもはただ触れ合うだけだったその唇が、深く重なる。
 軽く親指を顎に添えられ、薄く開かされた唇の間から入り込む他人の熱。
 蛍の舌をくすぐってくるのは杏寿郎自身の舌先だ。

 そう悟ると、顔に熱が宿る。


「っふ、」


 鼻にかけたような吐息が漏れる。
 触れる舌に応えるように、蛍もゆっくりと自身の熱を交じり合わせた。
 反応があったことに気を良くしたのか、杏寿郎の肉厚な舌がより深く蛍の口内を犯す。
 ぴちゃりと微かな水音のようなものを耳にした時、急に蛍の感覚に刺激が走った。

 味覚と嗅覚。
 二つを刺激してくるものに咄嗟に顔を退く。


「っ…! ご、め」


 口元を片手で覆うも、その味も匂いも既に感じてしまった。
 ぽたりと蛍の指の隙間から落ちたのは、赤い雫。


「構わない。少し切っただけだ」

「で、も」


 絡んだ杏寿郎の舌先が、蛍の犬歯を掠めた。
 鋭い牙によって微かだが滲んだ杏寿郎の血は、蛍を惑わすには十分なものだ。


「く、口、濯いでくるから」

「蛍」


 尚も身を離そうとした蛍の腰を、がちりと杏寿郎の手が掴む。
 逃すまいとするように。


「飢餓症状が出ていたのは、つい昨日のことだろう? それも不死川の稀血で落ち着けたはずだ」

「そう、だけど」

「なら心配はいらない。俺の血を口に含んでも、吸血衝動は起きていないだろう?」


 杏寿郎の言う通りだった。
 稀血による効果は絶大なのか、実弥の血をほんの少ししか飲んでいないのに、杏寿郎の血を飲んでも目まぐるしい感情の起伏は起こらない。


「で、も…何も感じない、訳じゃない、から」


 しかし人間の血は鬼である蛍には、時に薬であり時に毒である。
 感覚を研ぎ澄ませることもあれば感覚を鈍らせ、意識を鮮明にさせることもあれば意識を混濁させることもある。

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