第13章 鬼と豆まき《弐》
「なら…何故、出ていかないんだ…?」
力を失った男の言葉と同様、その手が握った蛍の手元から力なく滑り落ちる。
「金か? 金が必要なのか?」
「……」
「それなら幾らだって…っお前を養っていけるだけの財はある!」
「…そのお気持ちだけで十分です」
「何故だ!? 何不自由ない暮らしを約束してやると言っているのに…! 何故お前はいつも俺を受け入れてくれない!」
「そんなことは…いつもこの部屋で、正一様をお待ちしております」
「様などと呼ぶなッ!」
声を荒げた男の両手が蛍の肩を鷲掴む。
ガシャンと茶器が倒れ、中の液体が色褪せた畳に広がった。
「慕うふりをして結局は俺も他の客と同じに見ているんだろう…!」
「せ、いち…ッ!?」
「呼ぶなと言っているだろ…!」
怒りで我を忘れた男の太い指が、細い頸に食い込む。
「何故俺のものにならない…ッこんなに…こんなにお前を愛していると言うのに…!」
「っ、ぁ」
「柚霧…ッ」
男の力を前にして、蛍は抗い抜くことができなかった。
はくはくと口が酸素を求めて開閉するが、喉で堰き止められ取り込めない。
男の体を押し返そうとしても、頸を締める手を掴んでも、逃れる術はない。
鬼である蛍にはあるまじき姿。
やがて大きく見開いた目が、黒く塗り潰されるように落ち込む。
ぶるぶると震え出す細い体に、はっとした男の手が緩んだ。
「ッゲボ…!」
「…ぁぁ…」
「ゴホッげほ…ッ!」
「すまない、柚霧…許してくれ…柚霧…」
まるで人が変わったように狼狽える男の手が、包み込むように戦慄く蛍の体を抱く。
酸欠になりながら嗚咽を繰り返し、生気が戻る瞳には生理的に溢れた涙を称え。
それでも蛍はこみ上げるものを抑え込んだ。
「お前を愛しているんだ…柚霧…」
「っ……ぇぇ」
力なく上がる両手を、そうと男の背に添えて。その肩口に顔を埋めながら、蛍はか細い声で囁いた。
「私も…お慕い、申し上げて…おります…」