第13章 鬼と豆まき《弐》
「そんな呆けた顔をされて、どうしました? こちらへどうぞ」
物静かな声で優しく呼びかけてくる。
緩やかに片手を差し出す動作一つ、流し見上げてくる眼差し一つ、息を呑むような色香があった。
まるで蛍の姿を借りた、全くの別人のようだ。
これは本当にあの口煩い家政婦のような鬼なのだろうか。
「今日は日差しの暑い一日でしたね。お仕事大変だったでしょう」
静々と腰掛けていた窓際から下りて、部屋の隅に置かれた茶箱に手を伸ばす。
もてなしの用意をしながら問い掛ける蛍は、さも実弥を知っているような口振りだ。
「ただ夏は、陽が長くなりますから。この部屋で夕日を見られるのはこの時期だけで…」
「おい鬼」
穏やかな蛍の口調とは打って変わり、こいつは誰だと見下ろす実弥の口調は冷たい。
「人間の真似事なんざするな。テメェは鬼だろうがァ」
鬼の血鬼術は、鬼殺隊が扱う呼吸とは理も術も全く異なる。
亜空間を作り出す鬼もいれば、幻覚を生み出す鬼もいる。
目の前の不可解な光景もそうだ。
息遣いさえ感じてしまいそうな程鮮明に実弥の目に映し出されてはいるが、所詮はまやかし。
蛍のこれも偽の姿。
実弥の訴えに、茶を酌んでいた蛍の手が止まる。
上げた顔をじいっと実弥へと向け、ほんの少し傾けた。
「座っては、くれないんですか?」
「いい加減」
「正一さん」
「…あ?」
人間と等しく暗い瞳は、確かに実弥へと向いていた。
しかし呼ばれたのは全くの別名だった。
そんな名など、名乗ったことは一度もない。
面食らう実弥に構わず、頸を傾げたまま蛍がほのかに笑う。
眉尻を下げた、憂いある笑みで。
「折角、明るいうちにお逢いできたというのに」
「!?」
するりと、まるで見えない壁を通り抜けるように。実弥の視界に現れたのは男の後頭部。
突如目の前に現れたのではなかった。
実弥の体を通り抜けるようにして、男が蛍の前に進み出たのだ。