第12章 鬼と豆まき《壱》✔
足払いでバランスを崩すこととなったが、杏寿郎の背は地面に着きはしなかった。
それでも片膝をついた頭は、目の前で立ち上がった蛍より目線が下がる。
胸の位置にくる杏寿郎の顔に、今度こそ蛍の手刀が入った。
「──!」
チッと微かに首筋に痛みが走る。
鋭い爪は微かに皮膚を裂き、赤い雫を僅かに滲ませた。
確実に仕留められる距離だった。
そこを敢えて外した蛍の手刀は杏寿郎の頸を刎ねることはなく、代わりにはらりと数本の黄金色の髪を宙へと飛ばす。
「ハァ…取、った…ハ…ッ」
鬼面越しの息遣いは荒いが、確かに人の言葉を吐いた。
間近で重なる鬼面の穴の奥の眼は、血のように赤く染まってはいたが殺気立ってはいない。
「君は……蛍、か」
「?…そう、だけど」
理性をかなぐり捨てたような獣を相手にしていると思っていた。
それを覆したのは、杏寿郎よりも小さな体を活かした蛍の冷静な機転。
杏寿郎が手解きした技だ。
「…うむ」
自然と口角が上がる。
それは先程、蛍を本気で負かそうとした時に浮かべた好戦的な笑みではない。
どこか安堵したようにも見える柔らかな笑みで、杏寿郎は全身の力を抜いた。
「参った。俺の負けだ」
それは白旗を掲げた宣言だ。
(──え?)
一瞬、杏寿郎の言葉が理解できなかった。
一対一で何度も拳は交えてきたが、一度も勝利を掴んだことはない。
だが目の前の彼は確かに告げたのだ。
「…私の…勝ち…?」
「ああ」
「ほ、本当に?」
「完敗だ」
「本当の本当に?」
「ああ! 胸を張っていい!」
「わぁああやったぁあぁ!?!!」
握り拳を作って高らかに認める杏寿郎に、感極まる。
震える体を飛び上がらせて蛍は勝利の万歳をした。
「初めて杏寿郎に勝ったぁ!!」
「ははは! まだだぞ蛍、これを受け取って初めて勝利と言える」
「は! 木札!」
「さぁ受け取れ!」
「い、いいの…っ?」
「無論!」
懐から取り出した杏寿郎の札を、恐る恐る受け取る蛍の両手はぷるぷると震えている。