第12章 鬼と豆まき《壱》✔
来た時と特に何も変わらない、変哲のない注連縄と紐と鈴。
数十分間の出来事だが、なんだか懐かしい光景にも思えて蛍はほっと胸を撫で下ろした。
早くこの場を後にして、天元を捜さなければ。
蛍しか目撃例はなくとも、不可解なことが起きたという認識はあるのだろう。
行きの時よりも鈴を揺らさないように注意を払い、境界線を通り抜ける無一郎に義勇も続く。
その間、繋いだ手を離すことはなかった。
「彩千代」
「うん」
最後に続く蛍も慎重に紐の間に体を通す。
鬼面を通して見える狭い視界に、義勇の顔だけを捉えて。
彼を見ていれば、自然と安心できたからだ。
その顔が、ふ、と。消えたのは一瞬。
突如視界が真っ暗闇に変わる。
夕日が沈んだのかと考えもしたが、日が暮れてすぐに景色が闇に染まるはずもない。
その答えは義勇の目が捉えていた。
蛇の腹のように青白い無数の手。
後ろから羽交い締めるかのように、蛍の胴や手足、更には鬼面まで掴み覆ったそれらが絡み付いていた。
忍び寄る過程もなく、気付けばそれはそこに在ったのだ。
まるで蛍が境界線を越えることを阻むかのように。
「っ!?」
「彩千代ッ!!」
突如目の当たりにした無数の手に、義勇が息を呑んだ一瞬の隙。
蛍が悲鳴を上げる暇もなく、強い力で森の奥へと引きずり込まれた。
暴風のような強い風が蛍と義勇の間で巻き上がり、繋いでいた手を引き離す。
「時透!」
「く…!」
唯一蛍と繋がりのある管を掴んだ無一郎が、境界線の手前で足を踏ん張る。
ぴんと糸を張ったように垂直に引き伸ばされた管が、ぎりぎりと軋む。
黒い木々が折り重なる森の奥に引きずり込まれた蛍の姿は、正確に捉えられない。
「そのまま離すなッ!」
目の前の張り巡らされた紐を躊躇なく掴むと、つんざく悲鳴を鳴らす鈴の音に構うことなく。
義勇は境界線を飛び越え、後を追った。