第37章 遊郭へ
は、と堕姫が顔を上げる。
京極屋上層の奥の部屋。
隙間風のように開けられた窓の襖の先には、既に暗い夜空が広がっている。
じっと見据える堕姫の無言の視線に、傍についていた蛍は不思議そうに頸を傾げた。
「どうしました?」
「…少し出てくるわ」
「え?」
「すぐ戻るから、あんたは留守番ね」
「そろそろお店が開く頃ですけど…」
「わかってるわよそんなこと。すぐに戻ってくるって言ってんでしょ」
すくりと立ち上がった堕姫の姿は、仕事に出る為の蕨姫花魁ではない。
初めて蛍が堕姫と出会った時と同じ、露出の高い下着のような姿だ。
つまりは鬼としての出で立ちと同じもの。
鬼として夜の花街を徘徊する気か。
自然と共につこうとするように後を追う蛍を、堕姫は冷たい視線で一蹴した。
(鯉夏が花街(ここ)にいるのは確か今夜までね…早くしないと)
蛍の読み通り、堕姫が夜の花街に出る理由は鬼としての食事にあった。
美しいものにしか興味がない堕姫が喰らう人もまた、美しい人間限定。鯉夏はその基準を十分に満たしている良肉だ。
明日には身請けをして鯉夏が花街を出ていくことは、堕姫の耳にも入っていた。
だからこそ今夜中に鯉夏を捕えなければならない。
「いい? 絶対に専用の部屋から出ないこと」
「はい。他の人とも接触しないように気をつけます」
「良い心がけね。もし破ったらあんたのその綺麗な目をほじくり出してあげるから」
「重々わかってます。早く戻る為にも早く行ってきて下さい」
堕姫の物騒な物言いも慣れたもの。
寧ろ瞼の形や睫毛の長さは変化させていても眼球自体は変えていない。綺麗と思ってもらえるだけ十分だと心内だけで呟いて、蛍は堕姫の背を押した。
「準備はしておきなさい。仕事には間に合わせるから」
「はい」
襖に手をかけて、隙間風を広げる。
高い下駄をものともせず花街の夜空に静かに跳び出る堕姫を、蛍は唇を強く結び見送った。