第12章 鬼と豆まき《壱》✔
「そうか! では、」
では?
改まるように言うと、向き合っていた杏寿郎の手が私へと伸びる。
だけど肌には触れず、さらりと指先で梳いたのは私の髪の毛。
「な、何?」
「いや。いつも結っているものだから、下ろしている姿が珍しくて」
「ああ、うん。体動かす時に邪魔になるかなって…」
アオイやカナヲちゃんみたいな髪型も可愛いとは思うけど、高い位置で結んだ顔の横で揺れる髪や、大きな髪飾りは時として視界の妨げにもなる。
だから私的に鍛錬時には不釣り合い。
鍛錬がない日もない日で掃除や洗濯諸々雑用をこなしてるから、義勇さんに貰った簪で手早くまとめている方が楽。
そういえばお風呂もいつも杏寿郎の後に入ってたし。
髪を下ろした姿は、あんまり見せたことがなかったかも。
「初めて蛍が我が屋敷で湯浴みをした時も思ったが」
ほんの少しだけ握った髪房を、さり、と杏寿郎の指の腹が撫でる。
「綺麗だな。君の髪は」
良くも悪くも強いいつもの視線が、今は優しげに。
綺麗だと告げる唇の動きに鼓動が跳ねる。
「そ、うかな…普通では…」
蜜璃ちゃんみたいな鮮やかな色をしている訳でもないし。
かと言って胡蝶みたいな愛らしい癖っ毛な訳でもない。
特に髪に自慢できるところなんてない、極々普通の髪だ。
「俺には、ずっと触れていたくなる髪だ」
そんな大袈裟な。と言いかけた言葉は呑み込んだ。
余りにも自然な動作で、杏寿郎が掬い上げた髪先に唇で触れたから。
「今度、この姿で月夜の散歩に行かないか?」
「う、ん。いい、けど」
どうにかそれだけ応えれば「そうか!」と心底嬉しそうな笑顔をぱっと浮かべて離れる。
「では蛍にも支度があるだろうから、俺は席を外そう」
すっくと立ち上がってあっさり部屋を後にする。
その余りの杏寿郎の手早さに、思わずぽかんと見送った。
一呼吸後に、ぺちりと自身の顔を手で覆う。
「…何あれ」
何あの目。何あの手。
通常時の杏寿郎と差があり過ぎるんだけど何あれ。
「…思いっきり寝起きの顔だった…」
そう言えば顔もまともに洗ってないのに。
あんな至近距離で見つめられて…うう。恥ずかしい。