第11章 鬼さん、こちら。✔
「悲しいんじゃ、ないよ。嬉しくて」
初めて杏寿郎の腕の中で泣いた時も、そうだった。
姉さんへの絶え間ない哀しみで溢れさせた涙は、いつの間にか違う何かに変わっていた。
あの時の感情も言葉にできないけれど、きっと今抱えている思いの一部だったんだと思う。
「杏寿郎の想いが、嬉しくて。涙が出たの…ごめん、ね」
瞬き落ちる涙の後。
ようやく杏寿郎の表情が見られるようになったと思えば、視界は黒に塗り潰された。
「…きょ、じゅ…?」
憶えがある。
涙の止まらない私を、蜜璃ちゃんの助言であの時もこうして抱きしめてくれた。
大きな体で包んで、幼子をあやすように背を擦ってくれた。
「…暫く、このままでもいいか?」
だけどあの時と違うのは、包み込むような抱擁じゃなく、存在を確かめるような強い抱擁。
「よもや…夢現のようだ。今君を手放したら消えてしまう気がする」
耳元で届く声は、いつもの強い声じゃない。
その声に応えるように、鼻を啜って涙を呑み込んだ。
「消えないよ。私、あの頃から少しは成長したんだから」
この世のうねりに身を任せていた頃とは、違う。
「炎柱っていう凄い人が、みっちり鍛えてくれたお陰で」
呑まれて消えるはずだった私を引き止めてくれたのは、義勇さんで。
今立っている足場へと力強く導いてくれたのは、杏寿郎だ。
「だから大丈夫。ここにいるよ」
以前は、その胸にしがみ付いてひたすらに泣いた。
今は、その広い背中に腕を回して頬を寄せる。
ぴたりと隙間なく触れ合う。
目の前の確かな存在を実感すれば、杏寿郎も同じだったのか。腕の力が緩んで、優しく包まれた。
隊服越しに伝わる、大きな体と仄かな体温。
視界にちらつく、明るい髪色と纏う猩々緋。
白詰草と菖蒲の香りに混じる、杏寿郎自身の匂い。
とくんとくんと伝わるどちらとも取れない鼓動までもが、肌を撫でる春の夜風と同じに心地良い。
…ずっとこの時間が続けばいいのにな。