第10章 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る✔
そこには杏寿郎の気に掛けていた、言葉と表情が噛み合わない笑顔は消えていた。
見開いた眼孔で蛍の表情をを受け止め、開きかけていた口を閉じる。
「…冨岡なんだな」
再び口を開いた時。
零れ落ちた声は、普段の杏寿郎から想像もつかない程小さなものだった。
「何が?」
「君の心を動かす時。君の命を拾う時。いつも大事な場面で君の傍にいるのは、俺じゃない。冨岡だ」
「何言って…杏寿郎も、だよ」
「いや。現に俺は、最初は君を斬首しようとした。最初から君の真意を見抜いていたのは冨岡だけだ」
「それは…仕方ない、でしょ。私は鬼で、杏寿郎は鬼殺隊で…」
「彩千代蛍」
その呼び名を聞けば、自然と背筋が伸びる。
もたつくように弁護していた言葉を、つい呑み込んだ。
「人にはそれぞれ役目というものがある。人生に置いて何を成すべきか。何を果たすべきか。俺は人より力に、強さに、恵まれた。だからこそ弱き者を守る責務がある」
母に伝えられた意志。
自分の中に在る母の意志。
それを継ぐ為だけに弱者を守るのではない。
杏寿郎自身が、自分に授かった強さとはその為にあるものだと信じていた。
だから迷わず歩いていける。
母を幼くして亡くし、元炎柱の父に見放され、共に支えようと誓った弟に剣士の才覚がなくとも。
鬼殺隊として、現炎柱として、覚悟を持ち続けていられるのだ。
「それと同じだ。彩千代蛍の人生の要となる部分に触れられる者。それが冨岡だった。鬼と成った君を導き、生かす者。それが彼だ。理屈などない。それは自然と決まっていることなんだ」
「…なんで…そんなこと…」
言うのか、と。
最後まで問いは形にならず、静かに見開く蛍の目が杏寿郎を捉えている。
血の混じったような、月明かりに反射する緋色の瞳。
縦に割れた眼孔は人成らざる者。
幾つものその瞳を睨み返し生気を失くす瞬間を見てきた。
なのに今まで見たどの瞳とも重ならないのだ。
同じではない。
彼女のその眼に自身が映っているというだけで、胸の内側から何かがこみ上げてくる。
「俺は冨岡とは違う。彼のようにはなれない」
それは覆ようのない事実。