第10章 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る✔
それは長いようで短い、短いようで長い時間。
完全に蛍の体が抵抗をなくした時、互いの間に細く赤い糸を引いて唇が離れた。
「ぅ…ウ…」
真っ赤に染まる舌を覗かせ、蛍の覚束無い手首が義勇へと伸びる。
「──そうだ。欲しいものはここにある」
己の腕を差し出す義勇に、蛍の目が釘付けとなる。
息が荒く変わり、瞳孔が見開き、寝そべっていた体を持ち上げる。
口内から覗く舌が、ぴちゃりと滴る血に触れた。
「ふ、く…ゥウ…っ」
ゆっくりと近付く顔。
鋭い牙を剥いた口が、みしりと傷口に喰らい付いた。
皮膚を突き破る痛みに眉を潜めながらも義勇は抗わなかった。
大人しく腕を差し出す義勇に、蛍の牙が、爪が喰い込む。
(! 手が再生している)
驚いた。
つい先程までその手は欠けてなかったはずだ。
なのに義勇の血を飲み欲を向けただけで、蛍の包帯が解けた赤黒い手首から先が、新たな細胞を作り上げていた。
じゅるじゅると血を啜り肉を喰み嚥下する。
高揚としたようにも見える表情で、蛍は血を求め続けた。
それに比例して見る間に体を覆い尽くしていた火傷の跡が消えていく。
脱皮するかのように、傷一つない皮膚へと移り変わり、髪は艶めき、唇は赤く色付く。
変貌は、まるで蛹が羽化するように。
「…彩千代」
「ふ…ふ…っ」
「彩千代。もう、いい」
「…グル…」
みしみしと牙の力が徐々に増していく。
骨まで軋み始めた音に、義勇は顔を歪めた。
尚も血はほとばしる泉のように次々と飲み込まれている。
これ以上身を任せていれば、大量失血で気を失うか腕の骨を砕かれるかだ。
「聞け、彩千代…俺の声は届くんだろう」
空いた手で、そっと血に染まった頬に触れる。
指先でそれを拭えば、血は皮膚を擦り更に広がった。
「彩千代蛍」
それでも、温かみのある頬を包むようにして呼び続ける。
静かな義勇の声に、朧気に血だけを見ていた瞳が──動いた。