第37章 遊郭へ
「後は俺一人で動く」
「ッいいえ宇髄さん俺達は…!」
「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ」
重い腰を上げる。
瓦の上で視野を高く上げた天元の目に、もう迷いはなかった。
炭治郎の静止も、常人の聴こえない音まで拾い上げる耳には届かない。
そうだ。生きてこそ勝ちなのだ。
それが天元の信条であり、だからこそ煉獄杏寿郎と己は違うと知っている。
命があるからこそ笑えるのだ。
命があるからこそ未来を進むことができる。
ただ一人だけで、心に消えない傷を作らせた大切な女を己の知らない世界に放り出すなど。
(…お前だってそれが本望じゃないだろうけどな)
隙を出せば染まりそうになる思考を追い出して、天元は視線だけを炭治郎と伊之助に寄越した。
「機会を見誤るんじゃない」
「! 待てよオッサン!!」
伊之助の静止を聞くことなく、今度こそ天元の体はその場からふっと消え失せた。
空気の重い静寂が二人を包む。
今ここで天元を追うことはできるだろう。
だが本気で天元が二人を振り切ろうとすれば、遊郭という限られた土地でも見つけられないかもしれない。
「…俺達が一番下の階級だから信用してもらえなかったのかな…」
「なに言ってんだ。オレ達の階級〝庚(かのえ)〟だぞ。もう上がってる。下から四番目だ」
「えっ」
「見とけよ。〝階級を示せ〟」
驚く炭治郎の前で、徐に伊之助が右手の甲を見せる形で腕を出す。
すると強く握った拳の甲に【庚】という文字が浮かび上がったのだ。
これは鬼殺隊の印である一つ、階級の印字である。
特定の言葉と筋肉の膨張によって浮き出るそれは、藤花彫り(とうかぼり)という特殊な技術を用いて印される。
「な、なんだそれ…」
「何って。藤の山で手ェこちょこちょされただろ?」
「こちょこちょされた憶えはあるけど疲れてたし…」
同じように拳を握って言霊を告げれば、炭治郎の右手甲にも確かに庚の文字が浮かび上がった。
下階級だと思っていたからこそ喜ばしくもあるが、今の今までそんな事実に一切自覚がなかった。
真面目な炭治郎だからこそ気持ちも凹む。
「こういうことって知らなかった…」
「元気出せよ!」
しゅん落ち込む炭治郎の背中を、パン!と小気味良い音を立てて叩くと伊之助が珍しくも励ました。