第37章 遊郭へ
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「いなくなった?」
店の売上を弾き出していた男のそろばん上の指が止まる。
上質な着物に身を包んだ中年男性は、京極屋の楼主(ろうしゅ)。
嫁である三津(みつ)と二人三脚で店を大きくしてきた男だ。
普段は人情に熱いその声が、切羽詰まった渇きを灯している。
「はい、あの…善子なんですけど。黄色い頭の。気を失っているのを寝かせていたんですが、部屋にいなくて…捜させますか?」
「ッやめろ! もういい捜すな!! 足抜けだ俺は知らん!!」
報告に来た女郎に、一蹴して罵声を飛ばす。
その手は再び忙しなくそろばんの上を走りながら、更に声は渇きを増した。
善子(ぜんこ)はつい数週間前に、やけに綺麗な顔を上背の大きな男から買った少女だ。
珍しい金髪の顔は並の少女だったが、三味線や他の芸事の腕が達者で何か使えるかと貰い受けた。
タダ同然だったのだ、飯は喰らうが金に化けるかもしれない。
そんな善子が、京極屋一の花魁である蕨姫に楯突いたのは記憶に新しい出来事。
なんでも蕨姫が禿を虐めているところに庇い立てしたとか。
そんな経緯、楼主にはどうでもよかった。
蕨姫の癇癪は度を超えていて、その所為で怪我をする禿も後を立たない。それが理由で逃げ出す禿も大勢いたのだ。
善子もまたその一人だったのだろう。
「でも旦那さん…」
「黙らねえか! 下がれ!!」
「キャアっ!」
それでも引き下がらない女郎に、限界がきた楼主がそろばんを投げつけた。
女郎に当たりはしなかったものの、後ろから覗いていた顔近くの襖に当たり、ガシャンと激しい音を立てる。
「二度と善子の話はするな! 皆にもそう伝えておけ!!」
「…っ」
「蕨姫花魁の気に障るようなことをするからだ! 善子もお三津も…っ」
何日も寝ていないのか、楼主の顔色は土粘土のように悪い。
蒼白したその顔に緊迫した勢いを混じらせながら歪ませた。
本来、店の売上の管理は三津の役割だった。
その三津がこの世を去ったのは、善子が蕨姫に楯突いた日のほんの数日前の出来事だった。
死んだのだ。
唐突に、己の店の前で身投げをして。