第37章 遊郭へ
「なに笑ってるのよ」
その感情が表情(かお)にも出ていたのか。蛍相手程には噛み付いてこないが、むすりと見てくる妹に妓夫太郎は鋭いギザ歯を見せて笑った。
「笑ってたかぁ?」
「笑ってるでしょ。今だって」
「そりゃあ、お前とこうしてなんでもない日を過ごせているからなぁ」
「何それ。なんでもないことが嬉しいの?」
「ああ」
寒いこともない。腹が減ることもない。
暖かい布団の中で、誰にも邪魔されずに兄妹で他愛のない話ができる。
そんななんでもないようなことが、噛み締めたくなる程に大切に思える時がある。
「変なお兄ちゃん」
「はいはい。変で悪かったなぁ」
「…別に。悪いなんて言ってないでしょ」
拗ねているようで甘えているような妹の声が、耳に通る。
それだけで記憶に焼き付けたい程に、大切に思える時があるのだ。
「それよりお前、仕事の方は大丈夫なのかぁ?」
「大丈夫って?」
「無理に客を取ってねぇか? 変な客はいねぇか」
腕の中にすっぽりと囲える、白く柔い体。
その肌を包むように両腕で抱いて、微かに揺らす。
揺りかごを揺らすような仕草に並んで、妓夫太郎の問いかける声は優しい。
「そんな客いないから大丈夫。仮にいたって、アタシにはお兄ちゃんがいるんだから」
振り返る堕姫の黒髪が、はらりと舞う。
「アタシ達二人でいれば最強でしょ?」
二ッと白い歯を見せて笑う。
幼くも見える堕姫の砕けた笑みに、妓夫太郎の暗い瞳が一瞬だけ止まった。
どこかで聞いたような気がした。
過去にも堕姫が告げてきた言葉だろうか。
そう記憶を辿ろうとしても、思い出せはしない。