第37章 遊郭へ
「あ、アタシじゃないのよ呼んだのはっこの小娘で…!」
「そんなことはわかってんだよなぁ。お前の声と他を聞き間違える訳ねぇだろぉ?」
慌てながらも兄の言葉に頬を染める堕姫の兄妹愛は、余程大きなものなのだろう。
他人に冷たい分、兄へと向いているのかわかり兼ねるが、それは妓夫太郎にも似通ったところがある。
「なんだぁ。何かあったのかぁ?」
浅黒い骨と皮だけのような手が、堕姫の頭を優しく撫でる。
鬼の体内に潜り込む芸当などしたことがない蛍には予想しかできなかったが、妹よりも力のある兄だ。体内から妹の思考を読むことは可能なはず。
それでも最低限の鑑賞のみで妹を立てているのは、兄なりの気遣いだろうか。
「堕姫様が、暖が欲しいと」
「あんたは黙って!」
「おブッ」
とうとう頸を鷲捕まれ、布団の上に渾身の力で顔面から押し潰されてしまった。
「暖だぁ? 寒いのか」
「さ、寒くなんか…」
「んん?」
痣のような斑跡が浮かぶ妓夫太郎の顔が、堕姫を覗き込む。
疑問を呈すようで、先を促すような優しい相槌だ。
語尾を細く途切れさせた堕姫は、凡そ他の客には見せないような顔でもごもごと紅の乗る唇を動かした。
「少し…あっためて」
甘えるような、少しだけ舌足らずな声。
花魁としてでも鬼としてでもない、ただ一人の妹としての堕姫の姿は、毎度蛍の目を引いた。
彼女の中にある複数の顔の中で、一番好きな顔だ。
「そうだなぁ…今日はいつもより冷えてるみたいだしなぁ。久々に外の空気も吸いてぇし、ゆっくりするかぁ」
「本当っ?」
ぱっと花が咲くように輝く堕姫の顔に、妓夫太郎の目尻もほんの少し和らぐ。
もう一度頭を優しく撫で付けると、掛け布団の上で胡座を掻き手招いた。
「ほら。ここでいいかぁ?」
「うんっ」
まるで定位置のように、妓夫太郎の胡座の中に背を向けて堕姫が座り込む。
掛け布団を己の背中にかけてすっぽりと包み込む兄に、二人の顔だけがひょこりと布団から出る形となった。