第37章 遊郭へ
「白梅」
「はい。ちょっと待って下さいね。姐さんの明日の着物の裾が…」
「白梅ったら」
「これだけ直したらすぐ行きます。例の簪ですか?」
「違うわよ。白梅」
「じゃあお化粧品ですか? この間のお気に召してた白粉なら」
「違うって言ってんでしょ蛍!」
花街が寝静まる昼間。
仮初ではない名を呼ばれ、ついびくりと蛍の顔が上がる。
振り返れば、寝屋として使っている部屋の中から睨み付けてくる堕姫の姿があった。
せかせかと休むことなく動かしていた小さな手は、明日蕨姫花魁が身に付ける着物の最終確認をしていた。
その手を止めさせる程に堕姫の機嫌が悪いのか、はたまた優先すべき欲求があるのか。
何日も共に過ごせば、その感情の見極めもできてくる。
慣れれば堕姫は我儘で体だけ成長した子供のようなのだ。
癇癪を起こす前にと、蛍は丁寧に着物を折り畳むとそっと腰を上げた。
「なんでしょう。堕姫様」
身支度部屋から移動して、蕨姫花魁に就く禿としてではなく、上弦の鬼に就く鬼として堕姫に歩み寄る。
「寒い。暖を頂戴」
敷布団の中心に座り込んで、体にかけ布団を巻き付けている様はとても上弦の鬼には見えない。
端的に欲求だけを告げる堕姫は、本当に我の強い少女のようだ。
鯉夏と出会ってからというものの、癇癪を強めにぶつけてくることの減った堕姫を蛍もよく見ることができるようになった。
確かに今日は一層風の冷たい日だが、鬼である堕姫に寒さなどそもそも意味を成さない。
だからこそその欲求が何を示しているのか、なんとなしに悟った蛍は小さな肩から力を抜いて下げた。
「わかりました」