第37章 遊郭へ
(なんだい。その目は)
思わずまじまじと見下ろす蛍の気配を察して、帯が脳内で悪態をつく。
(綺麗な人を、そんなふうに嫌うの初めてだったから)
堕姫には建前で敬語を使用しているが、血鬼術である帯に対してまで遜(へりくだ)る気はない。
脳内の声に同じに内心で語り掛けてみれば、ハッと嘲笑うような返事が届いた。
(人間は全員ただの餌だよ。好きになる必要なんてどこにあるってんだい)
(なら嫌う必要もない元からないんじゃ)
「ハぁん?」
「っ!」
脳内の会話で隠し事は難しい。
つい漏れた蛍の本音に、帯がぐねりと波を打つ。
相変わらず目も口も出ていないが、咄嗟にぱしりと胸元の帯を蛍は強く押さえた。
(ま、まぁ。同じ花魁だし。思うところもあるんだろうけど)
本体である堕姫の嫌悪は、恐らくそこだろう。
遊女としてだけでなく、同じ大手老舗店の看板花魁として名を馳せている鯉夏だからだ。
(ハッ。何が同じ花魁だい。あんな身請けで喜んでるような女、蕨姫花魁の足元にだって及びやしないよ)
(! やっぱり身請けされるの? 鯉夏さん)
(話によれば数日のうちに遊郭(ここ)を出ていくらしいさ。花魁とあれば身請けの声を上げる男がいるのは当たり前。そこに靡かず、男達から金と好意を搾り取れるだけ取るのが花魁だって言うのに)
(…鯉夏さん、身請けされることを嫌がってなかった)
(何が言いたいんだい?)
(一人の男性に心身を委ねることも、人生の一つなのかなって)
柚霧がそうだったから。
初めて心の底から一人の男性を慕い、その相手からも同じ想いを向けられ、注いでもらえた。
あの言い表せられない幸福は薄れなどしない。
(私は…鯉夏さんには、あのままでいてほしいと思う)
数多の男の欲は見てきたはずだろうに、そんな穢れなど知らないような顔で鯉夏は笑っていた。
昔はわからなかった。でも今ならわかる。
どんなに体を汚されても、心を踏みにじられても、何にも犯されない想いをひとつ抱えるだけで、そんなふうに笑えることを知っているから。