第37章 遊郭へ
去り際まで柔い空気を纏ったまま、優美な仕草で花魁道中へと戻る。
無駄のない所作を見送りながら、蛍は何も言葉にできないでいた。
柚霧として月房屋で働いた年月は決して短くはない。
だからこそわかる。
たった一度会っただけの他所の店の禿に己の事情を話せるのは、それだけ話は進んでいるからだ。
恐らく周知の事実。今道中にて迎えに行っている相手こそ、鯉夏の夫となる人物なのかもしれない。
そして。
(あの人は…染まっていない女性(ひと)だ)
何より鯉夏が、身請けされることを負の要素として受け止めていない。
自然体であるべきことと受け止め、それを肯定的に捉えてさえいる。
だからこそあんなにも愛らしい言動ができたのだろう。
身請けは視点を変えれば、主が変わるだけ。
複数の相手をしていた奉仕が、特定の人物に変わるだけ。
そんなものだと思っていた柚霧がいたからこそ、鯉夏の存在は蛍には特別なものに見えた。
(幸せに、なれる人だ)
色と欲に塗れたこの花街で、それに染まりきってはいない。
己を見失わず、生まれ持った清さを保ち続けている。
そんな遊女がどれだけいるだろうか。
否。砂漠から砂金を見つけ出すこと以上に確率など無いに等しいだろう。
自然と蛍は下唇をきゅっと噛みしめていた。
その些細な変化を見落とさなかったのは、少女の着物の一部と化していた帯だ。
(いつ見てもいけ好かない女だねぇ)
蛍の脳裏に響く、吐き捨てるような帯の声。
見た目には目も口も無い普通の帯と変わらないが、その声が示す者が誰なのかすぐに理解できた。
蛍も目で追い続けていた鯉夏だ。
(あんな女、褒められるところは所詮皮(がわ)の美しさしかないよ。他は吐き気がする)
表情はなくとも声から嫌悪の強さが伝わってくる。
鯉夏そのものが気に入らないのだろう、帯の嫌悪は主である堕姫本人の嫌悪だ。