第37章 遊郭へ
「綺麗な顔をしているんだから、汚しては駄目よ」
「ぁ…手、が汚れてしまいます…」
「あら。気にかけてくれるの? 優しい娘(こ)ね」
蛍の顔に付いた砂を払いながら、気にした様子なく鯉夏は笑う。
まじまじと蛍の顔を見ると、ふと思い出したように頷いた。
「どこの別嬪さんかと思えば、確か…京極屋さんの…?」
「! ご存じなんですか?」
「やっぱり。蕨姫花魁の所の禿の子でしょう? とても綺麗な子だって噂は聞いていたから」
水揚げ前の禿が噂になるなど稀なこと。それだけ鯉夏の周りへの気配りも周到なのだろう。
蛍の反応に確信を得て頷くと、視線を合わせるように屈めていた腰をゆっくりと上げる。
不安定な高下駄を履いていても、軸のブレない仕草は流石の花魁だ。
「ご挨拶が遅れました、白梅と申します。鯉夏花魁をぜひ一度お目にかけたくて…」
「まあ、丁寧にありがとう。私は鯉夏。次に顔を合わせられるかわからないけれど、その時はよろしくね。白梅ちゃん」
それだけ敷居が高い遊女ということは知っているが、狭い金魚の花街だ。話すことはできなくても顔を合わせる機会はあるだろう。
蛍が頸を傾げれば、鯉夏は形の良い眉尻をほんの少しだけ下げた。
『近いうちにね、遠くへ行く予定だから』
蛍にだけ聞こえるように、こっそりと告げられる。
重い口調ではなく、唇に手を添えて秘密話をするようなおちゃめな言動だ。
それがどういう意味なのか、皆まで聞かずとも蛍にも理解できた。
遊女が最終的に辿る道は限られている。
その一つが身請けされること。
客である男がそれ相応の金額を払い、気に入った遊女を伴侶として迎え入れるのだ。
鯉夏程の花魁ならば、どんなに多額の金額を提示されても声を上げる男は後を絶たないだろう。
そうして名を馳せる美女を手にした男が、この花街にいるのだ。
「鯉夏花魁」
「…それじゃあね。白梅ちゃん」
咎めるように新造が再度声をかける。
諦めた様子で大人しく引き下がると、鯉夏はひらりと一度だけ蛍に手を振った。