第37章 遊郭へ
「…ッ」
かたかたと震える小さな拳を、胸の前で握りしめる。
蕨姫花魁の機嫌を損ねた禿がどうなったのかは、この目で見てこの耳で聞いてきた。
痣や出血があるまで甚振られるのは当然として、最悪心身の機能に後遺症を残したり、果てには命まで絶った者までいるのだ。
だからこそこの京極屋では足抜けをしたがる禿や遊女が後を絶たなかった。
それでも吉原遊郭で名を張る老舗の一つ。
此処で成り上がればそれなりの金銭も手に入る。
そんな夢を見て京極屋を訪れる少女も少なくはない。
蒼褪め震える禿の少女もまた、その一人だった。
「まさか失くしたとか言わないだろうねぇ?」
何も言葉を発せない禿に、蕨姫花魁の声のトーンがひとつ下がる。
びくりと少女の体が一際大きく震えたのを合図に、爪先まで綺麗なネイルを施した蕨姫花魁の手がその柔い肌を捻り上げた。
「ッた」
否。捻り上げたのは、震える禿ではない。
その少女の前で広げられた別の少女の腕だった。
「姐さん、簪ならここに」
「…あ?」
「簪ならここにあります。そんなに抓らないでください痛い痛い」
ぱっと空いた手で少女が差し出したのは、確かに白い梅の花が飾られた簪だ。
ぎゅうぎゅうと柔い腕の内側を強く捻る蕨姫花魁に、声を上げた少女は大袈裟に痛がる素振りも見せずに意思を主張した。
「チッあんたには訊いてないんだよ白梅!」
苛立ちを抱えている今の蕨姫花魁には、何を言っても沸点は低い。
案の定、少女の意見にも声を荒げると、抓った手でばしりと幼い顔を叩いた。
「っ…ごめんなさい。でも見つけたのは私ですから。この子は関係ないです」
周りの空気が凍る中、頬を赤く染まる程強く叩かれた"白梅(しらうめ)"と呼ばれた少女は、それでも意思を曲げなかった。
深々と頭を下げて、簪を両手で差し出す。
「時間に遅れると蕨姫姐さん自身の名に傷が付きます。準備を優先しましょう」
一瞬沈黙を呑み込んだ後、蕨姫花魁は奪うように簪をその手から取り上げた。
「白梅! あんたが全部やりなッ」
「はいっ」
無茶を言う蕨姫花魁の指導にも、白梅は嫌な顔一つせず率先して取り組む。
再び動き出す空気に、庇われた禿はようやく肩の力を抜くことができた。