第37章 遊郭へ
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『急いでっ蕨姫花魁のご支度だよ…!』
『お茶請けはっ?』
『お着物ここに置いて!』
『肉色のおしろいも用意しておかないとッ』
京極屋の一番北側にある部屋。
陽の当たらないそこには、この店で一番美しい花魁がいる。
同時に性格にも強い癖があり、身の回りの世話をする禿達はいつも神経をひり付かせていた。
「お前」
鏡の前に座っていた花魁が、ゆらりと顔を捻り振り返る。
呼ばれた禿は一人だというのに、びくりと他の禿達も足を止めた。
止めざる終えない程の威圧が、その一言には込めてある。
「アタシの簪はどうしたの」
「ぇ…あ、」
「梅の花の飾りがついた簪だよ。説明しなきゃわからないのかい?」
「す、すぐに準備します…!」
鋭い視線が圧を重ねる。
幼い少女にとっては身も竦むような鋭さだ。
それでも震える手足に鞭打ち化粧箪笥に向かうも、目的の簪は見つからない。
「ぁ…あれ…っ」
「何をぐずぐずしてるんだ。さっさと持って来な」
「そ、それが…ここにあった、と…思っ…」
「は?」
かたかたと震える唇を噛み締め、どうにか現状を伝えようとする。禿のその言葉は花魁には逆効果だった。
梅の花の簪。
どんなに高価な贈り物を貰っても、感謝はその場凌ぎで鼻にもかけない。そんな花魁が唯一大事にしている簪だ。
誰に貰ったものか、禿達も、他の遊女達も知らない。
見た目には特別なものでもない、ただの小さな白い梅の花がついた簪。
それを蕨姫花魁は客間に出る時は必ず身に付けていた。
「あんた…まさかアタシの簪を失くした訳じゃないだろうね」
ただでさえ堪忍袋の緒が短い蕨姫花魁にとって、あの簪は地雷でしかない。
頸を傾げるように捻ったままゆらりと立ち上がる彼女に、ひっと誰かの短い悲鳴が漏れた。
「そ、そんな…こと、は…ッ」
「聞こえないよ、そんなドブ鼠みたいな声じゃ。アタシの簪はどこだって?」
「こ、この…箪笥の、中に…」
「あるならさっさと寄越しな」
「それ…が…」
「それが?」
音も無く滑るように畳を歩む。
ねめつけるような鋭い視線はそのままに、青褪めた禿の前を蕨姫花魁が立ち塞いだ。