第37章 遊郭へ
(絶対にこの荻本屋の中で何かは在っている。でもその何かが掴めない)
その事象も、人や鬼の個人なのか。それとも物事なのか。
そんな足掛かりでさえ未だ不明だった。
音柱ともあろう実力者が、数ヵ月かけて未だ捕えられていない鬼なのだ。
『上弦の鬼って…まさか、童磨?』
『そこまではわからねぇけどな。可能性はあるってこった』
藤屋敷を離れる前に、意味深に零していた天元を思い出す。
蛍が出会ったあの上弦の弐となるのかまでは、わからない。
ただし遊郭に潜む雲を掴むだけの鬼の気配は、上弦程の実力を持った者なのかもしれない。
その可能性は頭の隅に入れておけよと忠告された。
「(朔で捉えられないなら、やっぱりここの人達に探りを入れるしかないか…)人に好かれるのって簡単じゃないんだけどな…」
新米の遊女に簡単に教えられない情報を貰うには、まだまだ荻本屋の人々との間柄を深める必要がある。
月房屋で働いていた時は、他人になんて構っていなかった。
その月房屋と関りがあった松風や東屋のお陰で他者にも目を向けられる遊女となれたが、それでも好意を持たれるかどうかはまた別の話だ。
客である男ならまだしも、同業者である遊女達は皆明日の生活の為に必死で生きている。
同じ遊女は蹴落として当然。優しさだけでは立っていられない。
それが花街の現実なのだ。
「…あのひとの真似…しようとしても、できないんだよね。天元が人たらしって言ってたから、真似したら周りに好かれるかなって思ったんだけど」
なんとなしに、ぽつりと足場の影に話しかけてみる。
朔ノ夜ではなく杏ノ陽に。
なのにいつもなら呼んでもいないのに出てくるところ、獣の気配は微塵もない。
(やっぱり。朔が出ている時はあんまり顔を出さない)
戦闘中ならいざ知らず。日常の合間では、朔ノ夜が蛍といる時はほとんどと言っていい程顔を出さない。
日頃は自分から顔を出すことが多い杏ノ陽だからこそ、時間をかければその変化に蛍も気付いた。
よく顔を出すのは杏ノ陽の方だ。
だからこそ偶にある朔ノ夜との時間を譲っているかのようにも見えるのは、ただの思い違いだろうか。