第37章 遊郭へ
猗窩座との一戦で、一度姿を消した朔ノ夜。
あの時は上弦の参の手によって破壊されてしまったのかと蛍も恐れを覚えたが、朔ノ夜は再び戻ってきた。
冷静に考えれば血鬼術の一つなのだ。
術者である蛍が存命であれば、生み出せるもの。
(でも、朔ノ夜が再生したような気配は何も感じられなかった。気付いたら"そこ"にいた感じ…だから、術っぽく感じないのかな…)
初めて姿を現した時から、蛍の意思を逸れて行動していたように見える。
それは朔ノ夜も杏ノ陽も同じ。
この些細な譲り合いの変化も、また単なる術ではなく意思ある生き物のように思えてならないのだ。
「(って、考えたところで答えが出る訳でもないし)準備、しようかな」
思考を切り替えるように、ふぅと息をついて腰を上げる。
大きな鏡が設置された机に向かう足取りは重い。
化粧をすることが嫌なのではない。
その先の遊女の仕事に気が乗らないのだ。
存分に練り造り上げた美貌と、今までの遊女としての腕でどうにか男達と肌を重ねることは避けてこられた。
それでもやむを得ない奉仕は何度だってしなければならなかったし、体を使わずに男達をそれなりに満足させて帰らせるのは余程骨が折れる。
それでも肌を重ねれば簡単な一夜を決して許さないのは、柚霧という名で遊女を名乗ったからだ。
『私は、杏寿郎さんだけの金魚ですから』
再び柚霧の名を掲げて花街の夜に抱かれた日。ただ一人だけの男性の金魚となることを決めた。
それ以外の男には誰にも自分を暴かせはしない。
例えその男性(ひと)が消えた世でも、柚霧の名を名乗る限り一線は越えないと決めた。
あの忘れられない一夜に、心の底から誓ったのだから。
「──うん。これでよし」
おしろいを塗り、紅を差し、髪を整える。
自由な規律の月房屋とは違い、ここは老舗も多い吉原遊郭。
故に歴史のある荻本屋でも、髪型は伝統的な髷をすることが定着付いていた。
花形花魁であれば横兵庫(よこひょうご)と呼ばれる格式高い髷が一般的である。
結った髷を横に広げて扇状にしたような豪華さは正に花魁の為の髷だが、かなり重く手間もかかる為、一度結えば一週間は解いたり洗ったりはしない。