第37章 遊郭へ
「──さて、と」
部屋周りのことはキクとハルに任せて、自室に戻る。
とんと襖を両手で閉めて、柚霧は力を抜くように両肩を下げた。
「ありがとう、朔。さっきのお茶の準備」
目線を下げれば、足元の影からこぽんと気泡のような返事が一つ。
ひらりと小さな尾鰭だけを水面のような影に出して応えるは、血鬼術の朔ノ夜だ。
朔ノ夜はその姿形から広範囲に渡って波のような影を操れる。
それにより移動や防御を得意とするが、鬼に対する殺傷能力はあまりない。
それを補うように杏ノ陽があり余る程の殺傷力を持っているが、今思えば最初から朔ノ夜は攻撃に秀でた力を持っていなかったことがわかる。
精々その波を自在に操って、敵を押さえることが関の山だろう。
そんな遊女の例えとなる金魚の姿をした朔ノ夜は、ここ遊郭で何かと小回りを利かせてくれた。
先程の玉露も、元々柚霧が購入していたものだが用意したのは朔ノ夜だ。
「キクちゃんもハルちゃんも働き者だけど、朔ほど気転が利く子はいないかもね」
くすりと笑って屈み込む。
膝を抱いて己の影を見下ろす柚霧の口元から、不意にその笑みが消えた。
「それで、まきをさんは? 見つかった?」
遊女のそれから、鬼殺を歩む者の目へと変わる。
荻本屋くらいなら易々と朔ノ夜の波で覆い尽くすことができる。
この店に潜入して消息を断ったまきをはどうなったのか。
最初は仲良くなれた禿や遊女達に訊いてみたが、何故か皆そのことになると途端に重く口を閉じる。
口止めされているのだろうか。
その相手は女将か。それとも別の何かか。
まだ深入りするには関係を築く時間が必要なのだと悟った時、蛍は既に別の手を考えていた。
それが朔ノ夜だ。
「…そう。また駄目だったの」
影の中から返事はない。
それがまきをの所在を掴めていない何よりの返事だ。
ただ一つ開かずの部屋があることは、朔ノ夜の能力ですぐに察知することができた。
時々禿達が食事を置いていく、誰も近寄らない建物の隅の部屋だ。
そこにまきをがいるのだろうと踏んだが、朔ノ夜に探らせてもいつもその部屋には誰もいない。
血の臭いや誰かの気配の名残りはこびり付いているというのに。
毎度、雲を掴むような結果に終わるのだ。