第36章 鬼喰い
それでも過ぎ去った過去でしかない空間は、実弥の爪先さえも触れさせない。
掠れた望みさえ音にできない、狭い部屋に閉じ込められた金魚を、一心不乱に貪る男。
そんな光景を見下ろすことしかできない胸糞悪さに、ただただ反吐が出た。
あの時からだ。
蛍の名ではなく、金魚である柚霧の名を呼ぶようになったのは。
ただの鬼としての枠組みだけで見ていた女を、鬼になることでしか生き永らえることができなかった女として見るようになったのは。
同情はしていない。
そんなものをいちいち向けていれば、どの鬼の頸も狩ってはこれなかった。
それでも柚霧を今までの悪鬼と違うものとして見られたのは、その後の生き方を彼女自身の力で捻じ曲げたからだ。
欲に支配される鬼には堕ちず、その欲に抗いながら人として生き抜こうとする。
目の前に転がされた稀血の餌を目にしても、己を喰らうことで欲を押しとどめた。
柱という鬼殺しの手練れ達に刃を突き付けられても、己の心を潰そうとはしなかった。
最初は苛立ちしかなかった。
どうせ本性を表すのも時間の問題だと思っていた彼女が、あの時から実弥の中でがらりと姿を変えた。
本当に泣き零したい本音は、誰にも言えない。
ただ唇で形作るだけで、音として吐き出すことさえできない。
「助けて」と呼ぶ声は誰にも届かないものだと知っていて、それでも半身を千切るように悲鳴する。
強さとは違う。
ひたすらに歪で、偏りだらけの、不器用な歩き方しか知らないと気付いたからだ。
(テメェが言わねェから、こっちが気にかけてやってんだろォが)
そう悪態をつきたくなるも、ぐっと口を閉じる。
生き方を早々変えられるなら、血生臭くなるまで一人で鬼殺の為に駆けずり回ってはいないだろう。
「…腕。痛い」
「ア?」
思わずぎろりと睨み付ける。
思い込むだけ力が入っていたのか、細い腕にみしりと自分の指先が食い込んでいた。