第36章 鬼喰い
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「うん。大丈夫そう」
預けていた袴は太陽の下で干されていた為か、ほとんど乾いている。
心の中で謝罪をして、杏ノ陽に取ってきてもらった一張羅に寝間着から着替える。
外が見える縁側に近付けば、夜は近付いていたが、薄らと茜色を残していた。
夕暮れであっても太陽の光であれば鬼は消滅してしまう。
頭には竹笠を被り、口布で頸と口元を覆う。
更には黒い狐面を顔に取り付ければ、杏ノ陽がいなくとも完全に陽の光からは遮断された。
「まだ人通りもあるだろうし。杏」
言葉少なく呼びかければ、意図を汲んだ獣が静かに蛍の足元の影へと身を潜める。
そのまま屋敷の玄関へは向かわず、蛍は拝借した草履で縁側から外に下り立った。
一瞬のような時間だったが、それでも一息つくことはできた。
実弥の稀血を摂取したお陰で、足取りもしっかりしている。
人間からすればとても休息にはならないが、鬼である自分には十分だ。
脚力一つで、ふわりと裏庭の垣根から屋敷外へと跳ぶ。
一度だけ振り返り、言葉無き感謝を頭を下げて屋敷の者達に伝えた。
黙って出ていくものの、蜜璃に影鬼の欠片は預けてある。
無事であることは影鬼を通して伝わるだろうし、相手は柱。自分の鬼殺への姿勢を悟ってくれるだろう。
小芭内とのやり取りがあった後なら、尚更。
「よし」
竹笠の縁に手を添えて、頭を上げる。
踵を返し、茜色が残る空へと目を向けた。
「何が"よし"だァ」
その一歩を挫かせたのは、間髪入れず入る鋭い突っ込み。
淡々としているようで腹の底から滲み出るような低い声。
「こちとら"よし"じゃねェんだわ」
まるで見計らったように、蛍の出立する先に仁王立ちしている男が一人。
不死川実弥である。
狐面の下で、蛍の目が丸くなる。
振り返るまで実弥の気配に気付かなかった。
見えずとも蛍の反応を読んだように、実弥は気怠げな溜息をついた。
「鬼が蔓延るにはまだ早い時間だろうがァ」
告げる実弥の恰好もまた、隊服に馴染みある羽織姿。腰にも日輪刀を常備している。