第36章 鬼喰い
小芭内の去り際の言葉が過る。
彼の言う通り、すべきことをしなければならないのではないか。
悪鬼を一匹でも多く滅する。
そうしていればいずれ、あの鬼にも辿り着けるはずだ。
躑躅(つつじ)のように鮮やかな髪に、灰にも近い血の気のない肌。その上を張り巡らすように走る入れ墨模様。
罅割れたような眼球には【上弦】【参】の字が濃く刻まれており、その口は馴れ馴れしくも誘うように何度も彼の名を呼んでいた。「杏寿郎」と。
「…ッ」
目を瞑れば思い出す。
思い起こすよりも焼け付くような情景が浮き彫りになるような感覚だ。
びきりと首筋に血管が浮かび、牙を備えた口が震える。
あの鬼は強い人間を求めていた。
となれば常人ではなく、再び鬼殺隊の前に姿を現すだろう。
その時こそ必ずこの手で殺す時だ。
絶対に逃しはしない。
あの鬼を殺すまでは止まれない。
必ずこの手で。この牙で。
「…グル」
かちりと震える牙が口内で触れ合う。
ただし獣のような声は、己の喉から漏れたものではない。
ふわりと温かい何かが頬に触れる。
はっと息を呑んだ時、自然と殺意が漏れていたことに気付いた。
視界の端で、ふつりと千切れながら飛ぶ影の炎が見える。
顔を上げれば、すぐ目の前に黒い鼻先があった。
もそもそと蛍の頬に鼻先を擦り付け、クルルと穏やかな喉を鳴らす。
蜜璃の睡眠を妨げない静かな主張は、その体の大きさに見合わない丁寧な甘えだ。
ふ、と音を立てて息をつく。
強く噛み締めていた牙の力を抜いて、蛍は眉尻を下げた。
(ありがとう)
声に出さずとも目の前の獣には伝わっているだろう。
布団の中から片手を出せば、ふわりと温かな額を擦り付けられた。
影の水飛沫を上げて現れる朔ノ夜とは違い、この獣は繊細な感情を拾うように気付けば傍にいる。
まるで亡き彼のように。
その度に言いようのない感情で胸が締め付けられる。
嬉しいのか悲しいのかもわからない。ただ泣きたくなるような堰を切る。