第36章 鬼喰い
「伊黒さんだって、思うことは沢山あると思うの。それでも、たくさん、たくさん耐えて、周りを見ることができる人だから…」
自分が弱いばかりに、自分が情けないばかりに、我慢を強いてしまったかもしれない。
本当は弱音を吐きたかったかもしれない。
哀しみを吐露したかったかもしれない。
それでも上手く呼吸を正せるまで、傍に居続けてくれた小芭内の言葉無き温かさに耐えていた涙がじわりと肌に沁みた。
全てを見通すことはできないけれど、自分だからこそ知っている彼の姿がある。
言葉数は少ないけれど、決して沈黙が重い訳ではないこと。
一見してわかり難いところがあれど、繊細に他人の心を拾ってくれること。
他人に厳しいようでいて、誰より自分自身に厳しいこと。
師である杏寿郎のような力強い引力や包容力は無くとも、静かに同じ空気を食み、寄り添ってくれる温もりを持っていること。
「だから…表面上だけで受け取らないであげて、ね。深いところまで無理に知ろうとしなくてもいいから…蛍ちゃんのごめんねを受け止めるだけの、時間が必要なこと…わかって、あげて」
自分だけが知っている、小芭内の姿が好きだ。
ただ今は、感情の見えない瞳を揺らす蛍にも、伝わっていて欲しいと思った。
器用でいて不器用な、彼なりの生き方を。
「……」
そう、と呼びかけるような蜜璃の言葉に、蛍の反応はない。
畳に落ちる緋色の揺らぎはただ、答えを見つけ出せないでいた。
「…蛍ちゃん」
青白く血の気の退いた唇は動かない。
握りしめたままの手がじとりと汗を滲ませ、それでも強く繋ぎ止めるように力を込める。
微かに震えているようにさえ感じる蛍の手を握り締めたまま、蜜璃も唇の端を噛み締めた。
投げかけの一つで、感情の一つで、簡単に元に戻るものではない。
一見明るさを取り戻していたように見えたが、蛍の心根は大きく欠けている。
それを改めて目の当たりにした気がして。