第36章 鬼喰い
「その他に用が無いなら俺は失礼する。不死川、鏑丸を頼む」
「…ああ」
蛍に向けたのは一瞥だけで、肩に乗る鏑丸を実弥に預けると早々背を向ける。
いくら死に近い職場だとしても、慣れる訳ではない。
ましてや表立って告げずとも義兄弟として、信頼足る同胞として、共に歩んでいた者の死など。
薄れはしても、慣れることなど一生ないだろう。
(そうして進む俺を、お前は咎めるか。杏寿郎)
そう、薄れていくのだ。
あのはつらつとした声も。
目の冴えるような双眸も。
纏う、強くも柔軟な空気も。
死によりこの世の何処にもいなくなってしまった者達の姿は、己の記憶のみに刻まれる。
それらは憶えておくことはできても、記憶だけでは詳細まで保持することはできない。
そうして徐々に葉を枯らしていくように、記憶は薄れていく。
それを人は"癒え"と言うのだろうか。
(咎めず、そうであれと背を押すのだろうな)
今はまだ鮮明に憶えている。
あのつい目を細めてしまいたくなる眩い笑顔で、彼なら迷いなく背を押してくれるだろう。
だから膝を着くことなどしない。
初めて杏寿郎の訃報を聞いた時は「俺は信じない」とすぐさま否定したが、今でもその思いは燻り続けている。
認めたくなどない。
だからこそ膝を着くものか。
お前の死を受け止めて、絶望などしてやるものか。
まだ自分にはやるべきことがある。
成さなければならないことがある。
絶望など、全てが終わってからでもいくらでもすることができるのだから。
だから今はまだ振り返りはしない。
倒すべきものだけを睨んで進んでいく。
「俺には俺のやるべきことがある。お前も不必要な懺悔をする暇があるなら、すべきことをしろ」
廊下の先へと消える間際、ぼそりと零した小芭内の声が蛍を跳ね除ける。
気遣いなど、生優しいものではない。
背中に感じる鬼の視線が、煩わしく縋り付いていた為に告げただけのことだ。