第36章 鬼喰い
「大丈夫! ちゃんと担当地区の悪鬼討伐は果たしてきたから!」
「じゃあなんだァ、こっちで特異任務でも受けたってか」
「そう…っいぅ…訳、でも…」
「あ?」
むん!と拳を握って胸を張ってみせた蜜璃の勢いが、たちまちに萎む。
ただ問いかけているだけだろうが、尋問にも見えなくもない実弥の顔面の圧に負けて、拳を握っていた手は人差し指同士をちょんちょんとつつき合わせた。
「えっとね、蛍ちゃんの…鬼、ちゃんが…」
「鬼ィ?」
「鬼じゃなくて、そのぅ…影鬼、ちゃんが」
「は?」
「なんだかそわそわしていたみたいだから、辿ったらね、その、ね」
なんとも要領を得ない説明だが、確かに蜜璃の口から「影鬼」という単語を拾った。
もじもじと顔を赤くして身を捩る蜜璃の体。
その真っ白な羽織の袖が、もこもこと揺れている。
揺れているには不自然な動きだ。
目敏く見つけた実弥の目が観察を続ければ、もこもこと小さな突起を作っていた皺が先へと進み──
「あっ」
ぴょこん、と袖の先から姿を見せたの"それ"に、蜜璃が声を上げた。
「影鬼ちゃんっ」
果たしてそんな愛称で呼ぶべきものか。疑いたくもなるような物体は、名前通りの影のような黒い生き物だった。
生き物かどうかも疑わしいのは、それに目も口も鼻も手足もないからだ。
水中で揺らぐ海藻のようにも、空を舞う花のようにも、はたまた地面を這う虫のようにも見える。
摩訶不思議に姿を変えながら、蜜璃の肌を漂い歩んでいるのだ。
見る者によれば、おぞましくも感じる。
「さっきよりずっと元気ね。やっぱり蛍ちゃんが傍にいるからかしら?」
そんな正体不明の小さな影の塊を、蜜璃は愛らしそうに両手で掬いあげた。
優しく語りかけ差し出せば、目の前に寄せられた影に蛍はなんとも言えず口を噤む。
「影鬼ちゃんは蛍ちゃんが好きなのね」
華やぐような笑顔を浮かべる蜜璃に対し、口角も曖昧に上げられなかった。