第36章 鬼喰い
はふりと、乱れた息をつく。
顔を埋めて部屋の隅に縮まっていても、柱の耳なら容易に拾い上げることができた。
実弥が牙を剥かなければ、二人だけの室内は静寂と化す。
(稀血…入れたのは、久しぶりだけど…半分だけだ。効果もきっとすぐに途切れる)
両膝を抱く手に力を込める。
強く目を瞑って視界を遮断すると、蛍は大きく肺を膨らませた。
深呼吸をしろ。呼吸を少しでも正せ。
全集中の常中はいつもしていることだ。
──血はどれも同じだ。
同じに、甘く強く惹き込んでくる。
舌先を痺れさせ、鼻の奥まで塗り替えて、思考を朧気にする。
そして思い出すのだ。
あの日見た、地獄を。
「…っ」
死に瀕した愛しい者の血を喰らって、呪いをかけた。
許されない愚行を。
だから吐いてしまうのだ。
どんなに強烈な稀血であっても、思考を塗り潰す前に体が拒否をする。
喉奥は震え、胃がひっくり返り、涙が溢れる。
自分自身への嫌悪と共に、そんなことは許されないと己自身が内側に棘を刺す。
そうしてこの体は、無限列車任務以降血は飲めなくなってしまった。
「…いつからだ」
集中する余り、実弥への意識が途切れていた。
静かに問いかけてくる声に、固く閉ざしていた視界を薄らと開く。
「いつからンなことになった。お前、以前は普通に飲めてただろォが」
そんなことを気にかけられるとは思っていなかったから、純粋に驚いた。
それと同時に言えるはずはないと、更に強く唇を結ぶ。
「…別に。気付いたら、なってた…だけ」
黙っていれば変に勘繰られてしまう。
だからと言って、稀血で霞む視界では的確な理由も思いつかない。
自分でも言い訳苦しい答えだとわかっていたが、それ以上の返事は導き出せなかった。