第36章 鬼喰い
だが蛍の反応には馴染みがあった。
初めて自分から実弥の稀血を望んだ時も、白々しい真顔で頼んできたものだ。
杏寿郎にはあんなにも柔い笑みを向けるというのに、こちらには清々しい程の能面対応。
今も狐面でそれこそ本物の能面のように見えるが、あの時の蛍と似通ったものを感じる。
人が変わったようで、蛍の感情は根本に存在しているのか。
反射で怒鳴り返してしまったが、拳を握るまでには至らなかった。
「いいからさっさとやるならやれェ。限界だなんだ言ったのはテメェだろうが」
「え。…と、じゃあ」
触れられる傍まで腕を伸ばす。
鋭い傷跡が無数に入る腕を眼下に、蛍も一度考える素振りを見せるものの素直に従った。
足場の影に手を突っ込んだかと思えば、取り出したのは長方形の手に収まるケース。
蛍が常に軽装なのはこれが理由かと、荷物入れと化している影を実弥は興味深く見下ろした。
使い方次第では便利な術だ。
「血は…できれば、この容器三本分くらい欲しいんですが…」
「なに今更遠慮してんだァ。そんくらい平気だわ」
ケースの中には、見覚えのある注射道具が一式。
筒状の透明な小瓶のようなものを見せてくる蛍に、何を今更とあしらった。
下手をすれば戦場でそれ以上の血を流したこともある。
断るには取るに足らない理由だ。
「では…」
「ン」
ゴムチューブを腕に巻き付ける蛍の手際を、胡坐を掻いた膝に頬杖を付いたまま見守る。
てきぱきと動いていくところ、あれからもこうして採取していたのだろう。
腕に刺された注射器に溜まる己の血を見ながら、ぼんやりと実弥はいつかの駒澤村での出来事を思い出していた。
「そういやァ、お前」
「?」
「血以外からも人間の体液を採取できるらしいなァ」
煉獄から聞いた、という言葉は呑み込んだ。
なんとなくその名を蛍の前で簡単に口にできずにいた為か、反応は薄く、見れば頸を傾げている。
「なんの話?」
本当に心当たりはないのだろう。
自然と外れた敬語に、心なしか耳あたりをよく感じた。