第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
すみを抱えた腕とは反対の手で拳を握っている。
まさか、と予感が過る前に、血流を漲(みなぎ)らせた拳は少年の頭蓋を割っていた。
「く…ッ!」
ドゴンッ!と地面が砕け散る。
ぬかるみの更に奥まで打ち割った拳は、間一髪避けた少年の頬を擦り、ぱっと赤い血を散らした。
(再生か。予想よりも早い)
鬼の体ならば自然治癒は常識の範囲内。それよりも目を見張ったのは、打ち込んだ拳の威力だ。
呼吸に鋭さを感じたかと思えば、今まで打ち込んできていた拳よりも格段に重みが増した。
(まさか)
予感が再び過る。
呼吸により鬼と渡り合う術を持っているのは、鬼殺隊と呼ばれる人間達だけだ。
あのアオイと呼ばれた少女が着ている、隊服を身に付けた剣士達。
この鬼は剣士ではない。
隊服も身に付けていない。
それでも今目にしたものに説明をつけるならば、凡そ信じられないものを結びつける他ない。
「操られているとばかり思っていたが…鬼狩りに魂を売った鬼か」
この鬼は、鬼狩り達と同じ術を身に付けている。
鬼狩りには過去に数人、見たことがある。
殺した経験もあるにはあるが、そこらの人間より遥かに手間がかかった。
加えて奴らは組織を組んでいるのだ。
深く関わると後々面倒だと、度々見過ごした。
興味があるのは無垢な肉体を持つ、幼い人間だけだ。
直接的な無惨の命令でもない限り、なるべく自分の狩場を失うようなことはしたくない。
(だからわざわざ、あの男を切り離したというのに)
唯一帯刀していた半柄羽織の男、義勇が鬼殺隊であることはすぐにわかった。
運よく捕えられたなほを餌に、切り離せたというのに。
その間にすみときよの肉を手中にして姿をくらませる算段だった。
鬼である蛍が行動していたことに、興味が湧かなかった訳ではない。
曇り空でも真昼は真昼。その下を怯えることもなく堂々と歩いていたのだから。
「同じ鬼として、見過ごすつもりでいたけれど。それなら話は別だ」
少年を避けていた雨水が、しとしとと白いその肌を濡らす。
たちまちに頬の血が止まり、擦り傷が消えていく。