第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
常にふらりと棒立ちで余裕を見せていた少年が、肩幅に足を開く。
手の見えない袖を振れば、きよを捉えていた水の塊が見る間に小さくなっていく。
ぐにゃりとスライムのような動きを見せながら少年の周りに集まる水に、降り注いでいた雨さえも弱くなった気がした。
「がぼ…ッ」
「きよ…ッほ、蛍さんッあたしのことはいいので、きよを…!」
それでも幼い少女の体は捕らえられたままだ。
蒼褪めた顔で必死に縋(すが)るすみに、蛍の表情は動かない。
「自己犠牲か。自分達の命の儚さを知っている。美しいものだね」
そこへ淡々と告げる少年の言葉に、ぴくりと蛍は表情を変えないままに顔を上げた。
それは、知っている。
「だったら自分の命を差し出してくれたら、あの娘は解放してあげるよ」
じゃっと少年の片足が半円を描く。
同時に長い袖を振れば、周りに集まってきていた水の塊が瞬時に姿を変えた。
太い槍のような鋭さを持った水が、蛍目掛けて打ち込まれる。
ドンドンと砲撃のような轟音が降り注ぐ中を、蛍は縦横無尽に掻い潜った。
(速さも増した…。やはり鬼狩りの術か)
元々持ち得た鬼の体力に、鬼狩りの扱う呼吸法を加えれば厄介な相手となる。
それでも地の利はこちらにある。
彼女が駆け回る地面全てに、水は浸っているのだ。
「どうせ時間の問題だ。そんなもの一時的な効果に過ぎない!」
「っ」
「きゃあッ」
ばしゃりと蛍の足が水を踏み叩けば、跳ね上がる水飛沫さえも針へと変わる。
脚を貫く痛みに、咄嗟に蛍は守るようにしてきよを両腕に抱えた。
打ち所が悪ければ命にも関わる水針だ。
「そうだ。人間の方が、命の重みを知っている分だけ慈悲深い。傷付かないように守ってあげてよ」
蛍が少女の命を大切に扱えば扱う程、動きは読み易くなる。
鋭い牙を剥いて少年は笑った。
「ぼく達、鬼とは違って呆気なく死んでしまうからね」