第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
「大人しく体を差し出すなら、痛い思いはさせないけれど」
「っ冗談言わないで。誰が大人しくなんか」
「お前じゃないよ」
音も立てずに水の上に立つ鬼が、掌の見えない袖を向ける。
「ぼくが欲しいのはその娘達だ」
袖が舞えば、降り落ちる雨が形を変える。
ばたばたと打ち鳴らしていた雨音が、一瞬周りから途絶えた。
は、アオイが振り返ると同時に、周りの雨水が波を象る。
「きゃあッ!?」
「アオイさ…ッ!」
「すみ! きよ!!」
ざぶんと荒々しい波が三人の背後から降り掛かかった。
逃げ出そうにも波と化した水流の動きは速く、瞬く間に三人の体は散り散りとなる。
攫うように押し流したのは、すみときよの二人だけだ。
必死に手を伸ばすも、アオイの体は逆方向に流され届かない。
二人の悲鳴もすぐさま波に飲まれ、小さな体は宙で流れる水の塊に捕らえられた。
「大丈夫。すぐに息の根を止めてあげるから」
「待っ…がぼッ!」
「お前もちゃんと喰べてあげるよ。でも大事なのはこっち」
波に抗おうとしても、アオイの力ではどうしようもない。
水を飲みながらも声を上げることしかできない少女に片袖を振って、少年は己の真上へ運ばれたすみときよを見上げた。
「人間も鳥や魚と同じ。すぐに締めて神経抜きをしてあげないと、鮮度が落ちる」
頭上で漂う水の塊を見上げる暗い鬼の目が、びきりと割れる。
水中で溺れながらも足掻いていた二人の体が、それに習い硬直した。
水圧に押し潰されるように、身動きすらできずない顔が歪む。
堪らずごぼりと、二人の口からなけなしの空気が漏れ落ちた。
「やめ…ッは…ッやめ、て!」
「長引かせる方が苦しいだろう。人間を痛めつける趣味はないからね」
笑う表情に、悪鬼特有の狂気染みた気配はない。
少年のような無垢な笑顔で、溺れゆく命を見つめる。
その笑顔が邪心に見えなければ見えない程、アオイの背中は凍り付いた。
この少年にとって人間は、本当にただの鳥や魚と変わらないのだ。
例え自分と同じ姿形をしていようとも、その日の献立を考えるように命を摘み取る。