第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
少年の急所を狙おうと蛍の爪が頸に迫る。
それでも幼い口元は、変わらず笑みを称えていた。
「そっちの水は、苦い」
袖を託して覗く紅葉のような掌。
幼いその手で親指と人差し指を擦り合わせる。
「こっちの水は、甘い」
ぱちん、と指を弾き鳴らす。
途端に蛍の体全身にずしんと重みがかかった。
「っ!?」
「蛍ッ!」
重力に習うままに、少年の目の前で蛍の体が地面に叩き付けられる。
それは一度の重みではなく、ばたばたと雨の降りしきる音に合わせて頭を、背中を、四肢を強打した。
「っぅッ…ぐッ」
一滴一滴落ちてくる雨水が、まるで鈍器のように蛍の体を打つ。
水でふやけた地面にめり込む程に、蛍の体が沈む。
対して少年は涼しい顔で雨水を受けたまま、目の前の蛍の頭を小さな足で踏み付けた。
「ほーたる、来い」
楽しそうに笑う歌声とは裏腹に、重い少年の足踏み。
めきりと骨が軋む鈍痛に、蛍の顔が僅かに歪んだ。
「ほ、蛍さん…っアオイさん、蛍さんが…ッ」
「近付いたら駄目よっ同じことになる…!」
蛍は鬼の体が故に耐えきれているが、生身の人間であるすみ達はひとたまりもない。
(あそこだけ急に重力が変わったように見えた。でも私達にはなんの変化もない)
雨水はアオイ達の体も濡らしているが、情報を少年に与えているだけだ。
直接的な攻撃に変わるのは、距離が問題しているのか。
「貴女はなんであの人間達を守っているのかな。もしかして操られているとか?」
「ッ…」
「人間なんかに手駒にされるなんて、可哀想に。もっと力を付けないと」
ぐりぐりと容赦なく蛍の頭を踏み付ける少年の言動はちぐはぐなものだったが、命までは奪う気はないのか。頸の骨までは折ることなく、すぐにその目は獲物へと向いた。
「さぁ、もう盾になる者はないよ」