第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
──ザアッ!
一滴一滴の雨水が同じ動きを取れば、たちまちに巨大な波へと変わる。
身を竦ませることしかできないアオイ達を飲み込もうとする波に、蛍が片手を突き出した。
「……」
しかしイメージした影の波は、蛍の足場から上がらない。
意思を伝えるよりも早く、以心伝心するように動いてくれていた朔ノ夜は鰭一つ見せはしない。
あの日から姿を見せなくなった影の土佐錦魚は何処へ姿を消したのか。
そんな思考を巡らす余裕はない。
突き出した手を脇に添え、拳を握る。
ばしゃりと水溜りを蹴り上げ飛躍した蛍は、迫る水の塊目掛けて真上から拳を叩き付けた。
バチンッ!!
一点に集中した圧力を前に、巨大な波が破裂する。
飛び散る飛沫は少年の髪を蹴散らし、隠れた鬼の目を晒した。
「貴女には用はないんだけれど」
幼い眼が、蛍を嫌々と捉える。
「ここはぼくの狩場だから、邪魔をしないでくれるかな」
ひらりと少年が袖を舞わせば、雨の空が波を作る。
左右から挟み込むように広がる二つの波に、蛍は体制を低く保つと息を窄めた。
細く、細く息を繋ぐ。
息を整え、呼吸を正し、あるべくところへ酸素を送るように。
さすれば体は自ずと動く。
朔ノ夜は出てこないが、影鬼が消えた訳ではない。
両手に纏わせた薄い影が、鬼の爪をより長く、より鋭く磨き上げる。
びき、と引き攣る血管を鳴らすと、片足を軸に跳んだ蛍は体を捻り上げた。
ザンッ!
日輪刀を用いてはいない、鬼の爪から響く斬撃。
体を回転させて勢いを重ねた斬撃は、挟み撃ちを狙った波をなんなく切り飛ばした。
「…鬱陶しいな…」
無駄を最小限に抑えた動きは、素人の取れるものではない。
最初こそのんびりと立っていた少年も、無表情に波を割る蛍に声を低めた。