第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
蛍が拳で打った飛沫は、再び一つに集まるとぐねぐねと奇妙な形を成す。
その様は蛍の影鬼に似通ったものがあったが、物質は雨水である。
至る所に溢れているそれは、影鬼の質量の比ではない。
(駄目だ、逃げ場が…ッ)
辺りは雨の世界。
其処から逃げ出す為の道も、場所も見つけられない。
せめて今いる木陰の奥で身を竦ませることしかできないと、アオイは強くすみを抱きしめた。
「こ、これっまさか鬼の仕業でしょうか…!?」
「それは、わからないけど…っ」
同じに身を竦ませたすみが戸惑い訴える。
アオイが言葉を濁したのは、例え雨雲が太陽光を遮っていても今は真昼の時間帯だったからだ。
鬼は基本、日中は行動しない。
正確な予報気象士などいないのだ。
もし見誤って外に出た結果、少しでも陽光に身を焦がすことがあれば一巻の終わり。
本能に従い行動している鬼ならば、そんな間抜けな行為には出ない。
「危険なのは確かよ。蛍、きよをこっちへ!」
片手を差し出すアオイに、蛍の体が向く。
「ふぅん。鬼を知ってるの」
踏み出そうとしたその足は、背後から届いた声に止まった。
周りは異様な雨音なのに、何故かその声はクリアに響いた。
振り返る蛍と、驚くアオイ達の目に映ったもの。
「それなら話は早いね」
木々の枝が交差していない野晒しになっている地に、声の主は立っていた。
真っ白な髪に、真っ白な肌。
身に付けている着物は、袖が垂れて手が隠れる程大きなもの。
否。サイズが合っていない大人の着物を着込む人物は、幼い少年だった。
外見はすみ達と同じ年頃に見える。
ふわふわの癖が立つ月白色(げっぱくしょく)の髪は浮世離れしていたが、幼さも相俟って然程怖さは感じない。
「夜にここを通る人間も減ったから」
ふわりと肌に馴染む前髪に隠れた両の目。
薄い髪に透けて僅かに見える黒い目が、瞳孔をぴきりと縦に割った。
「お腹が減ってるんだ」