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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし



「触れるぞ。いいか」


 返事がないことを前提に、一度間を置いて頬のガーゼに触れる。
 貼り付けられていたそれをゆっくりと剥がせば、頬全体に広がっていた火傷の跡は消えていた。
 ただまだ少しだけ膿んだような跡は残っており、形の良い義勇の眉が潜まる。

 発汗や発熱はない。
 鬼特有の牙や眼孔の変化も、特に見受けられない。
 それは一見すれば飢餓症状など無縁の姿にも見える。

 ただし蛍は地下牢で全身火傷を負った時も、同じ症状を見せていた。
 飢餓症状は出していなかったが、内側から蝕む火傷の傷をいつまでも癒せないでいた。

 あれは結果的に、飢餓を抑える為に己の体を差し出していたのだ。


「お前はまだ、生きようとしないのか」


 気付けば問いかけていた。
 返答など期待していないはずなのに。

 ただ治りが遅かっただけかもしれない。
 人間の血肉を日頃摂取しない蛍だからこそ、他の鬼と比較などできない。
 それでも生気すら感じられない蛍の姿を目の当たりにして、問わずにはいられなかったのかもしれない。


「鬼殺隊(ここ)では、他者の死は常に触れるものだ。お前だけじゃない。神崎アオイも、あの娘達も、親しい者の死を見てきた」


 視界の隅に入れたアオイ達は、濡れた衣服を濡れないように広げながら談話していた。
 雨に降られる寒い季節でも、身を寄せ合い浮かべる表情は明るい。


「胡蝶も俺も。炭治郎も禰豆子も。お前と同じだ」


 鬼殺隊の中で、安息のままに生きているものなどいない。
 それは炎柱の彼も同じだったはずだ。


「煉獄もそうだ」


 微動だにしなかった蛍の雨に湿った睫毛が、ふるりと揺れた。


「お前なら知っているだろう。俺に言われなくとも」


 杏寿郎の名にだけ、呼吸を繋げる蛍なら。


「数多の命が落ちゆく中で、煉獄は下を向いていたか」


 頑なに閉じていた唇が、僅かに開く。
 何も映さない、ただただ空(くう)を見ていた瞳が──ゆっくりと、こちらを向いた。

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